恐怖の(?)カンボジア
シェムリアップの朝は、清々しかった。
舗装もされていない道に、真っ青な空、鋭い陽の光、静かな路地裏。
素朴が好きな私にとって、シェムリアップは全てが完璧だった。
ホステルを出た私は、真隣にある、ローカルレストランに入ってみる。
外の日向と、店内の日陰のギャップに、なんだかなつかしさを感じる。
それは、いつか本で読んで想像し憧れた、沖縄の民家の縁側から眺めた夏の青い空や、夏の木陰などを連想するからかもしれない。
さて、席に着いて、メニューからスクランブルエッグとトーストのセットを選び注文する。
しばらくすると、頼んでもいないのに、「This is for you」の言葉とともにアイスティが運ばれてきた。
私は、その瞬間「げっ」と思った。
海外でよくある、「手をつけたんだからお金を払え」のパターンが頭をよぎったからだ。
でもまあ、これを運んできてくれたおばさんのあの笑顔を疑うのもなんだしなあ。
ここはひとまず信じてみるか。
喉が渇いていたこともあり、私はその冷たいアイスティをごくごく飲み、トーストをもぐもぐ頬張った。
すると今度は、食べ終わる頃になった時、なんとそのおばさんが、スイカやバナナ、オレンジのが小皿に乗った、フルーツの盛り合わせを私の持ってきた。
それも、
「This is for you」
と言いながら。
今度こそ私は、
この盛り合わせが無料な訳が無い!
と、
「ノー、ノー、サンキュー、ノー!!ノー!ノー!」
と慌てて断る。
それもそのはず。
あの悪質トゥクトゥクドライバーに、無料で送っていくと言われたにも関わらず、「金を払わないならここで降りろ」と言われたのはつい昨日のことだ。
すると、彼女は、
「This is free(無料だよ)」
と言ってもう一度勧めてくるだ。
私は、その言葉に、余計に恐怖を覚えて、より一層、遠慮した。
あのドライバーのお陰で、この時の私にとって「無料だ」と言う言葉ほど恐怖なワードはなかった。
これがカンボジアでよくあるぼったくりの手口に違いない。。
と思わずにはいられなかった。
おばさんは、私があまりに必死に断るので、仕方なしにそのフルーツの盛り合わせを冷蔵庫に戻す。
なんだかおばさんの表情は、少し悲しそうに見えた。
食事を終えるまで、トーストをもぐもぐ口に入れている間
「あーこのアイスティは一体無料なのか、請求されるのかどっちなのか。請求されたらどう対応すべきか」
ってことでもう頭がいっぱいだった。
注文なんてしないよ!
ときっぱり言って払わないべきか、
今日はおとなしく払うべきか散々考える。
いよいよお会計に向かい、おばちゃんに、
いくら?
と恐る恐る聞くと、その口元から聞こえたのは、
「2ドル50セント」
と言う、期待はずれの、いや期待通りの、私が注文した分のみの値段だった。
頼んだスクランブルエッグとトーストの分しか、請求されなかったのだ。
そう、アイスティーは、無料だったのだ。
な。なんだあ。。。。
と拍子抜けしたのと同時に、あの可愛い笑顔のおばさんを疑ったことと、おばさんに悲しい思いをさせたことを、少し後悔した。
もしかしたら、フルーツも本当に無料だったのかもしれないな、と思った。
さて、朝食を終えた後は、シェムリアップ散策へと向かう。
私は、中心地の方へと歩いて行き、有名な「オールドマーケット」に行ってみた。
野菜や果物、地元の人が買うような軽食から、
宝石、
観光客用土産など、様々な物がが売っていた。
時間帯のせいか、活気があると言う感じはしなかったけれど、タイとカンボジアの違いを感じることができた。
例えば、売っている東南アジア特有のワンピースのデザインは、似てはいるのだけれど、タイとカンボジアでは全く違う。トラベルパンツのデザインもそうだ。
ただ、やっぱりこの市場は、観光客向けのものだなあ。
と言う感じがしたけれど。
そして、何よりタイとカンボジアでは、売り手の態度も違っていた。(私の訪れた場所で、私が経験した事実とそこから個人的に感じた印象です。)
例えば、オールドマーケットというシェムリアップで有名な観光市場の中をぐるぐる歩き回っていると、「買ってよ。ねえ、買って」の圧がものすごい。
そしてその圧は、「買って買って!ほら!安いよ安いよ!」と言う元気な活気のあるものではなかった。
ジロジロこちらを舐め回しながら、
「私達友達よね。心が繋がってるわ。そう、3$なんてあなたには安いよね?もっと割引くから。ねえ、いくらなら払える?いくらならいいのよ」
と静かに、けれどものすごい圧で迫ってくるのだ。
狭い迷路のような、あまり人の多くない市場に、一人で入り込んだ私に取って、これは少し恐怖だった。
堂々と、「買えよコラあ」と言われる方がまだマシである。
試しにトラベルパンツの値段を聞くと、5ドルと言われたので、
「高いね、あっちのお店なら、3ドルって言ってたよ。」
と言ってみた。(嘘ではない)
すると、
「わかった、なら4ドルにするわ」
と言われる。
それでも、「うーん高いからまた今度ね。」
と言って、お店から離れようとすると、その瞬間、
「3ドルにするわ。私たち友達よね。ねえ友達よね。心が繋がっているわ。ねえ、3ドルなんて安いでしょ。今買えば3ドル、あなたがまたここに戻ってきたとしても、もう値引きはしないわよ」
と言いながら後ろからついて来たのだ。
それでも、買わないと分かると、あからさまにふてくされて、ものすごく睨まれたり、舌打ちされたりする。
これは、勧誘というより、脅しに近いものを感じた。
私は、恐さを感じた。
あまりにしつこいので、
「わかった、また戻ってくるかもしれないから!」
と逃げるように言うと、
「チッ。また戻ってくるなんて、嘘つきね。戻ってくるって言うならいつ戻るのか言いな」
なんて言う捨て台詞を時々吐かれたりするのだ。
それも女の人に。
ちなみに、タイでこのような経験をしたことは一度もなかった。(行く場所によってもきっと違うと思いますが、私の行った場所では一度もなかった)
トゥクトゥクも、全員ではないが、タイと比べるとそう言う人が多いように思う。
最初は無料だと言ったのに、乗った後に有料だと言われたり、応じないと道の途中で降ろされそうになったのはつい昨日のこと。
そして勧誘がしつこくて強引なのだ。
乗ってくれるまで、3ドル、いや2ドル、なら1ドルでも良い!のディスカウントが続き、 乗らないと分かると態度が急変。
それからこんなこともあった。
私はトゥクトゥクを使う予定なんてないのに、地面に荷物を置いた瞬間に、どこからともなく現れたトゥクトゥクのドライバーが、勝手に私の荷物を手に取ったかと思うと、それを自分のトゥクトゥクまで勝手に運んで乗せ、「さあ、どこまでいくんだ。」と聞いてきたのだ。
私は慌てて荷物を取り返した。
タイでは、
最初は少し割高な値段を言ってくるけど、交渉すれば適正価格範囲になることが多かったように思う。
「他の交通手段の方が安いからそっち使うね」と言えば、「オッケーまた今度ね」と笑顔で言われる事が多い。こちらが提示した価格に向こうがノーならそれ以上しつこくされない。
1ヶ月いても、1度も嫌な思いをすることがなかった。
もちろん、ここでもう一度、カンボジアは悪い人だらけだということが言いたいわけではないということを言っておきたい。(次の記事ではカンボジア人の家族にとってもよくしてもらった話を書いてます!)
けれどそれでも、あまり安全な街ではないかもな、と言う感じはしたので、もし旅行に行くことがあれば注意してほしい。
そしてそれは、カンボジア人が悪いとか、タイ人がいい人であるとかそう言う単純な話ではないのかもしれない。きっとカンボジアの人は、生きていくのに必死なんだろうと言うことを感じた。
貧しさは、時々、人を変えてしまうこともある。
まあもちろん、貧しいからと言って、昨日のトゥクトゥクドライバーのように、人を騙してお金を取って良いわけはない。
けれど、そうなってしまう人の気持ちや、環境、どうしてそうなるのか、と言うのを理解しようとすることは大切なのかなと、私はこの時感じた。
そうせざるを得ない環境で育ち、みんなそうするのが当たり前の環境で育っていたら、私だってそうなっていた可能性だって、全くないないとは言えない。
2019/3/30
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