ネパール???
バスでギターを盗まれ、仕方なくホステルへやってきた私。
バス停でリキシャ―を拾い、ホステルまで送ってもらうと、
彼は
「200ルピーは少なすぎる、250払え!」
とインド人リキシャ―ドライバーらしく、文句を言ってきた。
リキシャ―に乗る前に、200ルピーで交渉成立したのにも関わらず、車を降りる際に、それ以上要求してくる。
これ、インドでめちゃくちゃよくあるパターン。
でも、よほど身の危険を感じないかぎり、スルーでおっけー。
これだけ頻繁に嘘をついたり、口で文句を言ったりはする割に、暴力や武器で脅されたりしたことが一度もないのもインド。
200ルピーだけ払い、荷物を持って、
「じゃーねー!」
とリキシャ―を降りて、そそくさとホステルへ向かった。
ホステルの扉を開けると、受付に座っていたのは、肌の浅黒いお兄さん。
チェックインの手続きを済ませている間、
「ダンニャバード(ありがとう)」
「ナマステ(こんにちは)」
などのヒンドゥー語を使ってみる私(笑)
(ちなみに、ダンニャバードとナマステはネパール語でも同じ)
実は私、ネパール語が少し話せるのだけれど(ネパール語講座の記事も書いてます)
ヒンドゥー語とネパール語は、結構共通の言葉が多くて、ネパール人のほとんどは、ヒンドゥー語も話せるほど。
インド人は、ネパール語は基本的にはわからないんだけど、言葉が似ていたり、同じだったりするから、ネパール語を言ってみるとたまに通じたりするんだよね。
で、彼らに、知ってるヒンドゥー語やネパール語で挨拶すると、だいたい喜んでもらえるので、初めて会った人には、ナマステ―、ダンニャバードなどと挨拶してるってわけ。
そうしたら、実は、このお兄さん、インド人じゃなくて、ネパール人だったことが判明!
私はそこで、一気にテンションがバク上がり。
ネパールは、私が今まで行ったことのある中で、一番好きな国だ。
私は、彼と、ネパール語でおしゃべりを始める。
お兄さんも、私が2度もネパールに行き、エベレストを登山し、ネパール語をしゃべれるということを知ると、とっても嬉しそうだった。
お兄さんと、またねをし、
チェックインを済ませ、荷物を部屋に置くと、私は、屋上に向かった。
無料の朝食を食べるためだ。
それにしても、屋上はめちゃくちゃ熱い。
「もう座っているだけで汗が噴き出してくる」
こんな言葉じゃ言い表せないくらい暑い。
肌が痛い。
目が痛い。
暑いよりも、痛いと言った方がいいんじゃないかというほど暑い。
席に座って待っていると、
スタッフのおじさんが、トーストと、卵と紅茶を出してくれた。
バターは暑さで、一瞬で解けて消えた。
どうやらここのホステルは、スタッフ全員がネパール人のようだ。
なぜ、わかるかって?
顔つきがインド人ではなく、ネパール人だし、
みんな、ヒンドゥー語ではなく、ネパール語を話しているから!
私は、本当にうれしくなった。
そして、懐かしくなった。
私の大好きな、大好きな、ネパール。
人生で一番エキサイティングな時間を過ごしたネパール。
そのネパールで日常的に聞いていた言語を耳にすると、その時の記憶がよみがった。
そして、この紅茶も、ネパールでよーく飲んでいたものと同じ味がした。
またネパールに行きたくなってしまう。
私は、彼らに、ネパール語で話しかけた。
すると、彼らは驚いた顔をした。
それもそうだろう。ネパール語というマイナー言語を、日本人が話すのだから。
「チャイ、デライ、ミトチャ!(紅茶本当においしい!)」
というと、もう一杯、紅茶を出してくれた。
ありがとう。
食事を済ますと、私は、知っているネパール語の歌を彼らに歌った。
4、5人のスタッフに囲まれて、歌を歌うと、本当に喜んでくれた。
他のスタッフを連れてきて、
「彼らにも歌ってくれ。僕たち、故郷の歌が聴けて、嬉しいよ。仲間も喜ぶさ」
そう言われるほどだった。
ネパールでもそうだったのだが、私がネパール語の歌を歌えるということを知ると、
エベレスト登山中、ネパール人ポーターたちに、
「歌ってくれ。僕たちは登山で疲れている。どうか癒してくれ」
と、毎日山小屋で頼まれたものだった。
ある時は、ネパール人ガイドたちの間で私の噂が広まり、知らない人にまで
「ネパール語の歌が歌える日本人だろ?歌ってくれよ」
と頼まれるほどだった。
そして、私が歌うと、本当にうれしそうにしてくれるのだ。
私は、自分の歌で、誰かが喜んでくれることが本当にうれしかったし、
歌で心が癒される気持ちになるという、その彼らの純粋な心に、私の方が癒されるのだった。
やっぱり私は、ネパールが大好きだ。
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