アールティ祭りで、名倉に遭遇??
列車のチケット買おうとしたところ、たらいまわしにあったあげく、
結局チケットを購入することができなかった私。
ニューデリーの中央駅を後にし、とりあえず、
ガンジス川のほとりで夜に行われるヒンドゥー教の祭り、
「アールティ」を見学するため、もう一度リキシャーを拾う。
駅前に止まっていたリキシャ―に、アールティ付近まで連れてってくれと言うと、
値段が高いのなんの。
その中でも、1人、親切なおっちゃんドライバーを見つける事ができた。
「ここは駅前だろ。そしてこれはオートリキシャ―。だからみんな高いんだ。
もし値段を気にするなら、少し歩いて大通りを外れなさい。
ここを真っすぐ行って、左に曲がって、また真っすぐ行ったところの交差点に止まっている乗合リキシャーに乗れば、安いよ。
心配するな。僕は別に君を君に商売したいわけじゃない。ただの親切心で教えてるだけさ。」
そう言って彼は、胸に手を当てた。
私は彼にお礼を言って、言われた通りの場所まで歩いて行き、オートリキシャ―を探すと、それに乗り込んだ。
ということで、今回乗るリキシャ―は、知らない人とシェアする乗合リキシャ―となった。
同じ方面に行く人を、数人乗せていく、4人乗りのリキシャーだ。
リキシャ―の座席で少し待っていると、女の子と男の子の二人組が乗り込んできて、私の向かいの席に座った。
彼らと向かい合うようにして顔合わせに座ると、リキシャ―は出発した。
町は日が落ち始め、ピンクとも紫とも言えない、美しい色に染まっていた。
リキシャーが出発し、しばらく走ると、
「どこから来たの?」
と話しかけてくる女の子。
「ジャパン」
と言うと、
あら、それはすごいね!
と目をキラキラさせる。
私が日本人だということがわかると、国籍、どこの地域かに関係なく、たいていの人は、
「すごい!!!」
という反応をする。
それが、日本という国が、いかに
「すごい!」
と思われているかの証拠だ。
プレイステーションなどのゲーム機に、自動車、電化製品、アニメなど、日本の生み出す物は、アジア、ヨーロッパ、中東、アメリカなど、世界中に広まっている。
そして「日本は、人が密集していて、高層ビルの立ち並ぶ、未来の都市」そんな風に思われているのだ。
これだけ知名度の高い国は、本当に珍しいだろう。
そして、世界各地を旅して思うが、これだけ色々な産業が世界中に広まっている国も珍しい。
東京ほど発展している都市を、私はこれまで見たことがない。
世界を知ってこそ気づいたが、TOKYOは、私の思っているよりも、よっぽど大きくて、よっぽど先進的で、よっぽど未来的で、よっぽど有名で、よっぽどクレイジーな場所だった。
日本にいるときは、東京を日本の首都としてか見ていなかった。
というのは、世界各国に首都があるのと同じように、東京もその数多ある首都の中の一つにすぎないと思っていたのだ。
でも、それは違った。
東京は、世界のどんな国の首都と比較しても、一言では言い表せないくらいとりあえずすごい。
そして、よくよく彼らの話を聞いていると、その女の子は19歳で、男の子の方は16歳とのことらしかった。
てっきりカップルだと思っていたが、先生と生徒の関係らしい。
彼女の方が、ヒンドゥー教の先生らしく、彼がその生徒なのだ。
これから、ヒンドゥー教の聖地であるガンジス川で、教えをするのだという。
私は、19歳の女の子が、宗教の先生をしていることに、少し驚いた。
周りのクラクションの音、よく舗装されていないデコボコ道を行くリキシャ―が「ガタンガタン」と立てる音、彼女強いインドなまりの英語せいで、あまりよく声が聞こえなかったが、
彼女は、「世界は一つ。ヒンドゥー教について、あなたも知ってもらえたら嬉しい」としきりに言っていた。
斜め向かいの彼女が熱心にヒンドゥー教について語る中、
私の向かい側に座っているその男の子は、終始私の足をこっそりばれないように、手で触ってきた。
半ズボンを履いている女性はインドでは見かけない。
まあ半ズボンを履いている私も悪いのかもしれないが、それにしても、今から宗教の教えを受けに向かうというのに、よくやるもんだな。
と、怒りなんかよりも、男の悲しいサガに対するあきれと、感心の方で、私の気持ちはいっぱいだった。
リキシャ―が目的地に着くと、彼女は私の電話番号を聞き、
「まだバラナシにいるなら、ぜひ、ヒンドゥー教の集まりに来て。私も土日はいるから」
と言って、去って行った。
私が彼女に連絡することは、それ以降なかった。
さて、ここからは、歩いてガンジス川まで向かう。
ガンジス川へ続く道は、人でごった返していた。
といっても、インドはどこに行っても人だらけなのだが、この道はメインロードなだけあって、なおさらだ。
道の途中には、食べ物やアイスを売っている人達、がらくたのような小物、雑貨、野菜などを地面に敷いた布の上に並べて売っている人達などがたくさんいた。
日本で育ち、日本が世界だと思っている人が、いきなりここに連れてこられたら、
一体この光景はなんなんだとショックを受けるだろう。
ガンジス川にたどり着くと、その混雑は一層になった。
太鼓をドコドコ叩く音、
チャルメラのような笛の音など、
とにかく激しい音楽が、大音量であたり一帯を包んでいる。
そしてどこを見ても、
人、人、人、人!!
オレンジ色、緑、青、黄色、赤、とにかく鮮やかな衣装を身にまとった人たちに彩られ、
夜が夜らしくなく、電灯の明かり以上に明るく見えた。
これが、アールティの祭りだ。
並んだ台の上に、1人ずつオレンジの衣装を身にまとった男性が立ったり座ったりしながら、
煙の出ている祭具を持ち、音楽に合わせて踊っている。
その周りには、後ろの階段にも、横の階段にも、前のガンジス川に浮かぶ船の上にまで、もうとにかく人でごった返していた。
カメラを向ける人たち、黙ってみつめる人達、色々だったが、みんな汗をかいていて、その混雑の中で人と腕が振れ、ぶつかるたびに、他人の汗が自分の肌にくっついた。
すると、1人の男性が、どこから現れたのか、日本語で私に話しかけてきた。
「なんでそんなにガリガリ?」
初対面でいきなりそれは失礼なやつだな笑笑
と思いながらも、なぜか憎めないからな様子に、私は笑ってしまった。
私は、インド人のこういうところが、大好きだ。
「川上の船の上から見学している人、ほとんど、インド人。
インドの各地から、集まってくるよ。
ここはヒンドゥー教の聖地だからね。
インドからも、外国からも、いろんな人が来るよ。」
彼は頼んでもないのに、私に、ヒンドゥー教やアールティに関することを、ひたすら説明してくれた。
よくある、「ガイドしてやったんだから金払え」のパターンかと思ったが、彼はどうやらそうでもなさそうなので、そのまま話を聞いていた。
一通り、アールティを満喫すると、彼は、
「この近くに、僕のお店があるから、ちょっと寄って行って」
と言う。
「何も買わなくていいから、場所だけ見ていって」
と。
あ、このパターンは、前にもあったぞ。
数日前にも、ガンジス川のほとりを歩いていたら、
「僕のお店を見ていってほしい」
と言われ、ついていったのだが、本当に、場所を紹介されただけで、押し売りはおろか、
商品を勧められることさえなかった。
それどころか、おいしいお店まで教えてくれて、ひたすら楽しいおしゃべりをしてくれる気のいいインド人だった。
(その話はこちらから読めます)
ということもあって、今回もその男性に、私はついていくことにした。
彼の名は、
「名倉」という。
まさか本当に名倉なわけではなく、顔がネプチューンの名倉に似ているからナグラと自称しているのだという。
そのナグラの顔がこちら。
うん。たしかに。
ナグラ。
彼についていくと、私は、あることを思った。
これ、この間、バブサン(前回出会ったインド人)に連れていかれたお店と同じかも。。。
「ねえ、もしかして、バブサンって知ってる?」
そう言ってバブサンの写真を彼に見せると、
「知ってる。ともだちだ。」
という彼。
「ねえ、私、前にもそのお店行ったから、場所知ってるよ!」
「彼のお店と僕のお店、場所ちょっと違う。」
そう言われ、黙ってついていくと、細い路地に入るところで、彼は立ち止まった。
「ここが僕のお店!」
そこは、バブサンに連れてこられた道と全く同じだった。
「私、前にもここにきたってば。」
「まあついてきて。」
そういって、路地の中に入っていく彼に、私はついていく。
路地の突き当りまで来たところで、
「僕のお店はこっち、バブサンのお店はこっち!」
と彼は指を差した。
本当に、彼のお店と、バブサンのお店は、真向い同士だった。
その彼のお店がこちら。
看板には、日本語で、「おみやげ」の文字がある。
たたみ4畳分程のスペースで、壁一面には、ぎっしり色んな種類の紅茶が並べられていた。
「まあまあ、靴でも脱いで、お茶でも飲んで行って。」
そう言うと、彼は、温かいチャイを出してくれた。
それは、もんのすごく香りと味の濃い、25年間生きてきて、今まで飲んだ中で一番おいしいミルクティーだった。
私が紅茶を飲んでいると、彼は一冊のノートを持ってきた。
中を開くと、そこには日本語が書いてあった。
どうやら、ここに訪れた人たちが残したコメントらしい。
「僕、日本語話せるけど、字は読めない。なんてかいてあるのかわからないけど、みんなが書いてくれた」
そう言って彼は笑った。
読んでみると、それは、ナグラに対する、温かい言葉たちだった。
どこの誰かわからないけれど、ここを訪れた日本人たちが残したコメントは、
私がナグラに対して思ったことと、全く同じだった。
みんな、ナグラに対して、ありがとう、という気持ちを持っているようだった。
こういった言葉をもらえるのは、彼の人柄のおかげだろう。
ノートを読んでいると彼は「もう一杯、お茶を飲むか?」と勧めてくれた。
本棚には、日本の本もたくさん。
ここを訪れた人たちが置いていったのだろう。
チャイを飲んでいる間、彼は言った。
「僕がこうして、人に親切にするのは、目先の利益を望んでいるからではない。
単純に誰かが喜んでくれたら嬉しいということもある。
それに、僕がこうして人に親切にしていたら、きっといつかそれが、巡り巡って自分の元に返ってくると思うから」
私は、本当に彼の言葉に共感だった。
誰かに親切にしていたら、それがいつか自分の元に返ってくる。
インドでよく言う、カルマってやつなのかもしれない。
でも、そう言う精神論的なものだけでなく、私も本当に、彼の言っていたことをよく思うことがある。
少し言葉は違うけれど、私は、打算のない親切心の大切さを、この旅で学んだ。
何かを期待して人に親切にするのではなく、そんなことは一ミリも思わずに、ただ誰かを助けたい気持ちで親切をすると、なぜか、その後ラッキーが起こることが本当に何度もあったのだ。
彼も、そう言うことを思っているのかもしれない。
実際、もし、私が彼のお店をブログで紹介して、私のブログを読んだ誰かが彼に会いに、彼のお店に行ったら?
そのまた誰かが、誰かにお店を紹介したら?
そうやって、繋がっていくかもしれない。
私は、彼にお礼を言うと、何も買わずにお店を後にした。
が、やっぱり、何かを買わされようとされることも、
飲んだ紅茶の代金を要求されることも、
ノートにコメントを書くことを強制されることも、何もなかった。
ただ笑顔で見送ってくれ
「困ったことがあったら、ここに来て。バラナシの案内でも、何でもするよ」
と言ってくれた。
帰り際、ナグラのお店と同じ路地で、ナグラの仲間が経営するお店の店先で、日本語で喋っている女の人がいた。
「日本人ですか?こんにちは」
と挨拶すると、
「そうです。もう何度もバラナシに来ているの。彼らのことが好きでね。」
と言う彼女。
ほら、彼女も、彼らのことが好きなんだ。
私は、お別れを言って、その路地を後にした。
私は、帰りに、お店でビールを買った。
こうやって、柵越しに商品とお金のやり取りをするの。
なんだか少し、不思議な感じ。
治安のあまり良くない国では、こうなっていることが多い。
さて、ナグラのお店の情報を最後に載せておこう。
彼が、とっても良いやつだったからこそ、私はこのお店を自信を持って紹介したい。
目印は、この路地だ。
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