エベレスト5日目 タンボチェの朝。
午前7時35分。
目に映る全ての物が、標高3900mの鋭く濃密な日差しによって、白くまぶしく照らされていた。
標高が上がるに連れ、日に日に増す空の蒼さは、すがすがしい早朝の景色にビビッドを効かす。
山の朝のこの感じが本当に好き。
昼を過ぎると靄が出始め、夕方には霧で覆われてしまう山においては、この晴れ渡った青い空は早起きの特権だ。
山の空は、青よりも蒼に近い。
太陽光を反射する空気が、薄いためだ。
ここよりもっと標高が上がると、その色は蒼を超えて黒になっていく。
宇宙からしてみれば、「なんだお前のいるところなんて、まだ、たかが地球じゃないか」と思うかもしれないが、それでも私たちは、漆黒の宇宙へとほんの少し近づいていた。
そしてそれを思うと、わくわくした。
さて、普段寝坊ばかりのあたしが、この日早起きしたのには、理由がある。
その理由の元へ向かうため、ロッジの外へ出ると、前方に見覚えのある黄色のマウンテンジャケットが見えた。
日本人トレッカーの、イイジマさんだ。
昨日、ダイニングのストーブが灯るのを待つ間、テーブルの上に「基礎ネパール語」と堂々と日本語で書かれた参考書を置いて休んでいたところ、それを目にしたイイジマさんが、
「もしかして、日本の方ですか?」
と話しかけてきたのだ。
ネパールでのトレッキング中に、初めて出会う日本人だった。
かなり登山慣れしているらしく、聞けばガイドもポーターもつけず、1人きりで登山しているのだそう。
山の上へ向かう道ではなく、下山の方へと向かうイイジマさんを見て、もしかしたら、あたしと同じ場所へ向かうのかもしれないと思った。
後ろから、駆け寄っていき、
「すみませーん!」
と日本語で叫ぶと、イイジマさんが振り返る。
「ああ、昨日の日本の方じゃないですか。これから出発ですか?」
「いえ、その前に慰霊碑を見に行こうと思って。でも場所がわからなくて(笑)」
「ホントですか、僕は昨日も行ってきましたよ。こっちにありますよー」
と、言って、その場所へと案内してくれる。
イイジマさんについていき、
ゴンパやいくつかのロッジが並ぶ建物の集まりを正面に、左手の小道を進んでいくと、見晴らしのよい尾根へと出た。
そこは、周囲を、壮大な山々に囲まれた場所だった。
表面を雪や氷で覆われた、日本では、決して目にする事ができない高さの山々が私達を囲んでいる。
標高3900mという、日本のどこよりも高い場所に立っていながら、今、更に高い山を目にしていることを思うと、自分の知ってきた世界の狭さを思った。
世界の大きさって、自分の知っている物事の範囲の広さでしかない。
自分にとってその世界は、とても大きいものなのに、この世界全体から見たら、ほんのちっぽけだ。
けれど、新しいことを知ったり、何かに挑戦したりすることで、それが広がっていくのは、本当に楽しい。
初めて富士山を登頂した3年前、後にも先にも一番高い場所に来ることができたような、そんな感覚になったっけ。
あの時は、自分の世界が、目一杯広がったような気がして、ものすごく感動したのを覚えている。
それが、地理的な物差しだけで見ても、今ではここまで広がった。
世界観で言ったらもっとだ。
新しいことに挑戦する。やったことないことをやってみる。
それってすごく大切なことだ。
大人になって、知識と経験が増えると、自分があらゆるものを知った気になって学ぶことを止めてしまったり、そうなると自分が一番正しいと思いこんでしまう人もいる。
いつになっても、どんなに知識が増えても、知らないことを知ろうとする気持ちはとても大切だ。
そして何よりも、知らないこと知るということは、純粋にとても楽しい。
色んな場所に行き、知らない物を見て、いろんな人と出会い、いろんな経験をすると、その楽しさを実感することができる。
だからあたしは旅をする。
そしてその楽しさを伝えたくて、こうして文章を書いている。
あわよくば、あたしの記事が、誰かの旅のきっかけや、素敵な巡り会いのきっかけになったら最高だ。
知らないことを知るたびに、まだまだ自分の知らない世界が、この先待っているということ知ることができる。
その、”まだまだ知らないことがあるという未来の余白”は、最高にわくわくする。
それをたくさんの人に伝えたい。
そして自分の目で、耳で、肌で、足で体験してほしい。
生きているうちに、この世界の全てを知るのは無理だけれど、それは、知るという楽しさに終わりが来ないということでもある。
何十年先も、”旅”という形で自分の世界を広げようとしているかどうかはわからないけれど、探究心を持ち続けることを忘れない大人でいたい。
何かを知ること、何かに挑戦すること、それに終わりが来る日はない。
鳥たちがさえずる中、もう一度私は、思い切り深呼吸した。
さて、忘れかけていたが、私がこの尾根へやってきた本来の理由は、ここに建つ慰霊碑たちだ。
風雨にさらされ、いくつもひびが入った慰霊碑には、日本人で初めて冬季エベレスト登頂に成功し、その帰路に遭難死した「加藤保男」の名前が刻まれていた。
この人も、もしかしたら、あたしと同じように、
「知らない物を知りたい。
見たことのない景色を見てみたい」
そんな思いを持ち続けて生きていたら、いつしか、世界の”頂点”であるエベレスト登頂に行きついたのかもしれない。
人それぞれ、人生の向かうべき方向は違う。
それは地球の頂に挑戦する事かもしれないし、宇宙に行くことかもしれないし、お金持ちになることかもしれないし、子供に尊敬されるお父さんになることかもしれない。
加藤保男の本当の思いは分からないけど、色々なな思いの人がいる中で、もしかしたらこの人も、私と同じような思いを持っていたのかもしれない。
そう思うと、胸が熱くなるのと同時に、なんだか似ている物を勝手に感じて親しみを感じた。
私がそんなことを思っている間にも、サンディップはイイジマさんに
「イケメンですね」と言われ、
「He said you are handsome」
と教えてあげるとヘラヘラ笑っていた。
そして私たちは、ロッジのある広場へと戻ってきた。
朝の30分間の散歩を終え、ロッジのダイニングへ入ると、朝食のために集まった登山客がたくさん席についていた。
ここにいるみんながまだベッドに入っている間に、朝のすがすがしい空気を吸い、最高の見晴らしを味わい、色々なことに思いを馳せ、今しかできない経験を吸収してきた来たのだと思うと、三文の価値がどれくらいかはわからないけれど、それ以上にとても得をした気がした。
と同時に、いつも寝坊ばかりしていることを、少し反省した。
そして、そういえば、昨晩あれだけ高山病で体調が悪かったというのに、今まで思い出さずにいるほど、今朝はその感触が一ミリもない。
やった!
昨晩おじさんのアドバイス通り、薬と水分を取って早く寝たおかげか、それとも体力をつけておこうと注文した、腐っているかもしれないと言われたチキンをきちんと残さずたいらげたおかげかもしれない。
念のため、この日の朝は、ガーリックスープを注文しておいた。
高山病に効くからと、毎日毎食勧めてくるサンディップのいうことを、たまには少し信じてみたということだ。
ガーリックスープの他には、オムレツと、シリアルを注文した。
驚きだけど、標高3900mのこのロッジでは、なんとクレジットカードが使えるという。
現金の足らないあたしは、今のうちに食いだめしておこうと思い、3食も注文したのだった。
出発時間は、食事が出てくるのと、身支度に時間がかかったので、9時10分。
やっぱり遅めの出発となった。
サンディップに、この日はいつも以上に急かされたため、ロッジの外に出てからその青空の下、磨き忘れた歯を、歯磨き粉をつけずに磨いた。
さあ、今日も一日、歩いていくとしよう。
この日の日記はひとまずここまで!
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