エベレスト9日目① 神々の頂、そして体調不良
朝、目が覚めると、私はピンク色の世界の中にいた。
なぜか視界の全てがピンクなのだ。
一瞬、自分の目がおかしくなったのかと思った。
もしくはまだ夢を見ているのかと。
だが、周りを見回し、そうではないと気づく。
私は真っピンクの壁と天井に囲まれた、真っピンクの部屋の、真っピンクなベッドシーツの中にいた。
おまけにカーテンまでピンクなのだから、差し込む朝の光までピンク色。
これなら目がおかしくなったと思っても仕方がない。
いや、本当に目がおかしくなりそうだった。
まだ完全に頭が冴えきっていないあたしの脳みそは、次に
「ああ、そうか、きっとあたしはオカマになったに違いない。だから真っピンクの部屋で寝ているんだ」
と、訳のわからない思考を開始し始める。
が、
「いや、待てよ、あたしもともと女じゃん」
と気が付いたところで、ようやく本当に夢から抜け出した。
目だけでなく、頭まで狂わそうとしてくるのだから、このピンクの部屋は恐ろしい。
いや、本当に恐ろしいのは、人間の脳みそかもしれない。
寝ぼけていると言うだけで、こんなおかしな妄想をするのだから、自分の見たものでさえも、時々疑いたくなる。
まさに、今私がここエベレストにいるという現実でさえもだ。
そう、そうだ。
私は今、エベレストにいる。
そして今日はカラパタール5550m、このトレッキングでの最高到達地点へと向かう日だ。
早く起きなくちゃ!
急いで体を起こし、ガイドのサンディップを起こしに行くと、彼はまだベッドの中でうずくまって寝ていた。
どうやら昨日から続く高山病の症状で、頭痛がひどいようだ。
「ごめん、今日は君をガイドすることはできない」
ここまで頭痛に耐えながら歩いてきてくれた彼が言うのだから、本当に辛いのだろう。
一緒にすぐに下山すべきか迷ったが、
「せっかくだから一人で登って来て欲しい」
と言う言葉を聞いて、私もそれに同意した。
そう、今日は一人で山を登ることになったのだ。
それはそれで少しだけ、わくわくした。
「わくわく」と言うとなんだか不謹慎だが、初めてのお使いのような気分だ。
その前に、まず、朝ごはんを食べなくちゃ!
ダイニングに向かい、パンケーキを注文し、食事が出てくるのを待っている間、私はあることを思いついた。
そうだ、イイジマさん。
イイジマさんと一緒に登れないだろうか。
そう思いつくと、私は急いでロッジを飛び出した。
一面に広がる雪の中を、靴をズボズボ埋まらせ、そして滑らないように気をつけながら歩く。
確か、彼は、映画「神々の頂」でロケ地として使われていたロッジに泊まっていると、昨日言っていた。
インターネットは繋がらないため、直接ロッジに向かうという原始的な方法で、彼を探しに行く。
「まだロッジにいるといいけど」
そうして彼のロッジにたどり着くと、幸いにも彼はまだそこにいてくれた。
「イイジマさん!今からカラパタール一緒に行きません?」
挨拶もそこそこに、イイジマさんに訪ねた。
が、
「もう行って来ちゃいましたよ。今帰って来たとこです笑」
「なんだー」
そう言ってがっかりな顔をすると、代わりにと言ってはなんだが、日本から持って来た、ジンジャーティのティーバックをくれた。
日本に帰ったら、必ずまた会いましょうと約束して、お別れをした。
さて、せっかくだから、神々の頂の出演者のサインを載せておこう。
それは、ダイニングルームの入り口の脇に、堂々と、だけれどもひっそりと飾られていた。
”堂々とひっそり”と言うのは、堂々と飾られてはいるが、日本語を読める人がそもそも珍しいため、誰もこれが有名人のサインだとは気づいていないだろうから。
見る限り、誰も注意を向けていない。
気づいたとしても、日本の俳優を知る人は少ないだろう。
サインボードは、岡田准一、松潤、阿部寛など、名だたる日本の俳優たちのサインで、ぎっしりと埋め尽くされていた。
彼らもこの場所に来たのだと思うと、わくわくした。
イイジマさんのロッジから、また雪の積もる道を歩き、自分のロッジに戻ると、
「おーい、どこに行ってたんだい。とっくにパンケーキできてるよ。冷めちゃったからもう一回温めてあげるね」
と、シェルパ族の優しいおじさんスタッフが、もう一度ケーキを日にかけてくれた。
朝食を終えると、私はここで急に体調を崩し、一時間以上もトイレにこもってしまった。
と言っても、心配はいらない。
というのも、頭痛でも腹痛でも、吐き気でも、高山病でもなく、
膀胱炎になってしまったのだ。
激しい尿意を感じ、一度用を足した後、その数秒後、またすぐにトイレに行きたくなってしまうのだ。
もちろん、用を足したばかりで何も出てきやしないのだが、激しい尿意だけ感じ、またトイレに引き戻されるという、非常に辛い状況だ。
起きたくないのにやっと起き上がろうとしたその次の瞬間、また倒される起き上がりこぼしの気分が分かる気がする。
いっそのこと、ずっと腹痛を感じ続ける下痢の方が、よっぽど楽だと思う。
(汚い話すみません。女子なのに)
普段から、膀胱炎にはなりやすい体質なのだが、まさかこのタイミングで発症するとは。
きっと、あまりの寒さのせいで、長い廊下を渡り、トイレに行くのが億劫で、ずっと我慢していたせいだろう。
相当簡易な作りのトイレは、建物の中にありながらも、ほぼ外のようなもので、床は一日中分厚い氷が張っていて、何度も何度も滑りそうになった。
寒い、いや、もはやただ「寒い」という言葉では有り余るほどの寒さのトイレの中に、ずっと閉じこもっていなくていなくてはいけない辛さも合間って、本当にこの一時間は地獄だった。
さて、そろそろ膀胱炎も下火になってきた頃、私はいよいよ、カラパタールへ向かう決意をした。
必要な荷物をカバンに詰め、いよいよ出発だ。
ロッジの扉を開けると、
「カランカラン」
とベルが鳴る。
その瞬間、凍える寒さの風が、ぶわっと吹き込み髪をさらい、眩しい日差しに顔が歪む。
さあ、私は、ようやく、最高の青空の下、肩で風を切って歩き始めた。
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