エベレスト11日目 トレッキング終了!ついにゴールへ!!!
朝のロッジは、静けさで満ちている。
単に私が、起きるのが遅く、もうほとんど登山客の出発してしまった後に起きてくるから。
と言えばそうかもしれない。
だが、それだけではない。
この澄んだ冷たい空気と、薄暗いロッジに差し込む朝の日の光、窓の外の青い空、向こうに見える白い山々。
私を囲む全ての物が、山のロッジの静けさを、際立たせている。
静かというのは、ただ物音が聞こえてこないことを言っているのではない。
実際には、キッチンで朝食を準備する包丁の音、火や水道の水を使う音、スタッフたちの笑い声、子供を叱る声、賑やかな色々な音が聞こえてくる。
もし、単に物音が聞こえてこないだけであれば、私は山のロッジが静かであるということに気づかないだろう。
物音や笑い声、目に映る景色、肌に触れる冷たい気温、それら全てがあるからこそ、やっと、私はこのロッジの心地よい静けさに気がつくのだ。
それはまるで、海があって、初めて陸の存在に気づくというようなことと同じかもしれない。
さて、この日の朝食は、ベジタブルスープに、マサラミルクティ、そしてマサラオムレツだ。
標高3400mまで下がってきた今、食事が美味しいことを知っている私は、奮発して色々なものを注文した。
ここなら、下の村から食材を運んでくるまで、3日程度だろうし、葉野菜などは、この村のすぐ近くでも育てているため、比較的新鮮な食材が手に入る。
そして高い標高のせいで狂っていた私の味覚自体も、元に戻ってきているため、美味しく感じるのだ。
スパイスの効いたオムレツを平らげ、ご馳走さまをしたあとは、部屋に戻って荷造りをする。
合計3夜お世話になったロッジを後にするのは、なんだか少しさみしい気がした。
さて、荷造りを済ませ、再びダイニングへと向かうと、ロッジのスタッフさんが、私に、
「ネパール語の歌を歌って!」
と言う。
一体これで何度目だろう。
そしてなぜ、私が歌を歌えることを、村の皆が皆知っているのだろう。
数日前、初めて歌を歌うよう頼まれた時は、躊躇いがあったが、もうこの時には、私は嬉しさばかり感じていた。
こんな私の歌を、楽しみにしてくれる人がいるのだから。
一度歌い終えると、今度はビデオに撮るからと、カメラを向けてくる。
私は彼に向かって、何度もネパール語の歌を歌った。
きっとこのビデオは、Facebookやら何かに投稿され、今頃このとてつもなく狭い世間のヒマラヤで、軽く話題になっていることだろう。
さて、今度こそ私は、この3夜お世話になったナムチェのロッジを後にした。
相変わらず、清々しい朝だ。
ナムチェの門をくぐり、この村が見えなくなるところで、もう一度私は振り返り、この景色を目に焼き付けた。
ここへ始めてきた時には、知るはずもなかったエベレストBCやカラパタール。
今は、この遥か向こうにあるその雄大な景色を、私は知っている。
その景色を、今、もう一度想像すると、非常に感慨深かった。
さて、ここからは、どんどん登山道を下っていく。
途中、あまりの空腹に耐えられなくなった私。
それでも何も言わずに歩いていたのだが、そんな私の心の中を察したのか、ココナッツクッキーをくれた。
せかせかと数メートル先に歩いて行ったサンディップは、途中の売店でこれを買っていたらしい。
彼はこういうところで、時々気が利くのだ。
しばらく歩き続け、途中で寄ったトイレは、「トイレ」と呼べるにふさわしい機能が備わっているかと聞かれれば、首を縦にふるのは戸惑ってしまう程度のものであったが、それでも私の暴行を救ってくれたことにかわりはない。
が、軽く説明を加えると、それは、トイレというよりは、干し草の上に用を足せるように、高床と壁の取り付けられた物置のようなものであった。
床に開いた穴が便器と呼ばれるものの代わりだった。
水を流す必要も必要もない、とても原始的なものであった。
ようやく3000m近くまで降りてきたところで、下校中の学生たちを発見。
私にとっては、登山をする場所でしかないこんな場所で、生活をし、学校に通っている子供達を見て、少し驚いた。
あと1、2時間で、トレッキングのスタート地点、ルクラに辿り着くというところで、私の体力と、足は、ほぼ限界を迎えていた。
何度も何度も、途中岩に腰掛けては休憩した。
そうして精神的にも、限界を迎え始めた頃、見覚えのあるカーブに差し掛かった。
と思った次の瞬間、トレッキングのスタート地点である、白い門が見えた。
ついに、標高2860m、ルクラの村へ帰ってきたのだ。
私は、この門をくぐった瞬間、
大声で
「やったー!!!!」
と叫んだ。
道端に腰掛けてたむろしていた高校生ほどの男の子たちは、私を見て笑っていた。
そして、サンディップは、
「恥ずかしいからやめてくれ」
と怒っていた。
行きにはあんなに素朴に思えた村が、とてつもなく栄えた街に見えるのだから不思議だ。
そして何より、
空気ってこんなに濃いのか
ということを、実感していた。
初めての経験で、他に例えが見つからないので、言葉で説明するのが難しいが、一呼吸で十分すぎるくらいの酸素を取り込めるのを、実感していた。
そして、きっと、今なら、どんなに汚いトイレでも、我慢できる自信があったし、どんなに寒い場所でも耐えられる自信があったし、どんなに長い登山もきちんと乗り越えられる自信があった。
壮大な美しい景色、出会った人々との楽しい時間の思い出だけでなく、私はこの11日間で、大抵のことではくじけない強さを手に入れたと思う。
得たものはそれだけではない。
普段気づくことの出来ない酸素のありがたみや、水のありがたみ、電気のありがたみ、食べ物のありがたみを実感することができる様になった。
私たちが、普段生きている環境は、本当に便利過ぎるほど便利だ。
蛇口をひねれば水が出てくるのは当たり前、スイッチを押せば電気が光る、スーパーへ行けば、自分で育てた訳でもない野菜や肉が簡単に手に入るのだ。
とても当たり前だが、本当は当たり前ではないことなのである。
さて、私たちは、今日泊まる宿へ一度荷物を置いた後、
トレッキングに必要ない荷物を11日間預けておいたロッジへ、夕食を食べに行った。
注文したのは、マサラティとガーリックスープ
そしてチョウミンだ。
ネパールの紅茶はとても濃く、ミルクはバッファローからとったものを使っているのが特徴だ。
トレッキングが終わった達成感と、標高が低いこの村では比較的新鮮な材料が手に入れられることから、全てのものがご馳走急に美味しく感じた。
そんなご馳走を味わっていると、急に電気が切れて30分ほどの停電にあった。
ほとんど毎日のことらしく、この村でも、決して電気は安定していないのだ。
宿に戻ると、私たちは、実に10日ぶりのシャワーを浴びた。
帽子を取ると、髪の毛は油でベタベタしていたし、体全体がベタベタだった。
標高約3000メートルの3月の夜の気温は、10度以下。そんな気温の中、外に設置された急に熱くなったり、冷たくなったりするシャワーに苦戦しながらも、それでも体を洗えるだけで最高だった。
体に染み付いた10日分の汗を流した後、私は久しぶりの深い眠りについた。
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