エベレスト12日目③ 〜完〜
「バタンッ」
とヘリコプターの扉が閉められた瞬間、2度とこの世へ戻ることのない船が、出発の汽笛を鳴らしたかのように感じた。
ここは世界一危険な空港、ルクラ。
ただでさえそのレッテルが貼られていると言うのに、空は邪悪ささえ感じられるほどの灰色の雲で覆われている。
今日飛行機が飛べない理由が、
”この悪天候で飛ぶのは危険だから”
だというのに、この小さなヘリが山あいを縫いながら無事にカトマンズまで辿りつけるなんて、思えなかった。
実際、ネパールでのヘリや飛行機の墜落事故は多い。
そして、ここルクラからカトマンズのルートの事故率は、なおさらの高さだった。
私は、死へと直結する賭け、言わばロシアンルーレットの引き金を、このヘリの操縦士に預けたわけだ。
「頼むから、ミスらないでくれよ」
そんな気持ちを抱えながら、私は彼を上から下までジロジロ眺める。
と、その瞬間、機体がふわっと宙に浮き、地上に立つ人たちの姿が、みるみる小さくなった。
かと思うと、期待は右に傾き、侵攻方向を変える。
そして、目の前の窓に映し出された景色は、地球が終わる日の空のようだった。
視界を覆う分厚い雲の向こうには、ほんのうっすらぼんやり山が見え、その山の合間に向かうようにまっすぐ伸びた滑走路は、霧のせいで端が見えなかった。
数百メートル先でさえ、何も見えない。
ただ、真っ白な霧が広がっているのみ。
その霧の中へと、機体はどんどん進んでいく。
そして、ついに滑走の淵を飛び出すと、私たちは、分厚い雲の中へと突入した。
そしてそのまま機体は、山にぶつかるのではないかというほど、本当に山肌スレスレを飛んでいく。
しばらくすると、機体は、本当に”何も”見えないほどの分厚い霧の中に入った。
さっきまでは、うっすら先が見えていたのに、完全に何も見えなくなったのだ。
私はこの時、本当に死ぬかもしれないとこの時思った。
その証拠に、私の足は力が入って硬直し、きつく握りしめた手のひらに爪の跡がついていた。
もちろん、隣の席に座る操縦士の彼にも、1m先足りとも見えていないはずだ。
だが、彼は余裕そうな顔で、ヘリコプターを操縦している。
私には到底、1m先たりとも進むべき方向が見えなかったが、彼は目には、いや、頭の中には、それが見えているのだろう。
視界の効かない今、彼の前にいくつも並んだメーターや機器たちが、彼の目の役割をしているのだ。
プロってすごい。
彼の落ち着いた表情は、私の不安を少しだけ取り除いてくれた。
霧の中をしばらく進んでいくと、あるところで、急に気温が暖かくなった。
ルクラの気温に合わせてダウンやトレーナーを着こんでいた私は、じわじわ汗をかき始めた。
かと思うと、急に先程まで視界を覆っていた真っ白な霧がサッと消え、目下に村が出現した。
私は、この時、無事に帰ってこれたような安心感をすでに感じていた。
まだまだ、ど田舎の村の頭上でしかないはずなのに、つい先ほどまで、山と山の間を縫うようにして飛んできた私にとって、それはとんでもなく栄えた街に思えた。
実際、もう深い大きな山は見当たらず、辺りはなだらかな山ばかりだった。
段々畑になった地形が、とても美しかった。
さらに進んでいくと、ついに、”ちゃんとした”と言ってはなんだが、ちゃんとした街が見え始めた。
ついに、カトマンズの街に入ったのだ。
視界は、相変わらず、白く霞んでいたが、それはもう、悪天候のせいではなく、自動車やバイクによって宙に舞った、土埃や大気汚染のせいだった。
私の大好きな、そしてちょっと汚く、ガヤガヤうるさくて、活気と生活感に溢れた、雑踏とも言えるカトマンズの街は、上から見るととても大人しく見えた。
勝手に私がそう思っているだけかもしれないが、普段とは違った一面に、カトマンズの街に向かって、なんだか
「おい」
と一声かけてやりたくなった。
そんな風に思っていると、期待はついに高度を下げ始める。
操縦士は、一ミリも表情を変えない。
私は、先ほどまでの緊張が解け、すでに安堵の表情でいっぱいだった。
そして、ぐんと近づいてきた町並みは、いつも通りの雑踏をにじませ、いっそう美しく思えた。
そうして私たちは、ついに、カトマンズの空港へと無事、降り立った。
ついに、長いエベレストトレッキングが終わり、もとの世界へと戻ってこれたのだ。
夢のような12日間であったが、ダウンを着込んだ冬支度と、真っ黒に日焼けして皮がベロベロに向けた私の顔が、ついさっきまでエベレストをトレッキングしていたことを証明していた。
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元気そうでなによりだ!経験したことのない未知の世界は、まるで映画を観ているか、ゲームの中の物語のようだろう。冒険家や探検家はいつの世も人々の憧れで、今、美穂はそれを体験しているわけだ。どんな時にも前向きに楽しんむことが大切だ。そしてどんな時も油断しないで命を守ることも大切。それではよい旅を!
それから、みんな元気でいるから(特に京子は元気をこえて相変わらず賑やか)、家のことは心配しなくて大丈夫だからな。応援しているよ! おじちゃんより
楽しく拝見させて頂きました。
当方、貴方が生まれた年に早稲田大学に入学した40過ぎのおじさんです。
私も95年の2月に友人と2人でヒマラヤトレッキングを経験しており、記事を読みながら当時の事を思い出して実に懐かしかったです(帰りにヘリで帰還したのも一緒です笑)。 我々はディンボチェまで行きながら下山した悔しい思い出がありますので、カラパタール俺も行きたかったなーって思いながら読みました。
今後も旅を続けられるようですが、くれぐれも安全には気を付けて楽しい旅を続けて下さいね!