エベレスト4日目② 標高3900mのタンボチェへ!高山病で死にかける
「明日になれば、きっと使える!」
昨日まで、そう信じていた、頼みのキャッシュカードが使えず、スーパーウルトラアルティメット貧乏登山ガールになったあたし。
とはいえ、ここで落ち込むあたしではない。
「だって死ぬわけではないし」
と、あまり深く考えることをやめ、ロッジへ戻ると、とっくに身支度を終えて待ちくたびれたサンディップがいた。
「どこ行ってたの?」
「ATM」
「使えた?」
「ううん(笑)」
「だからそれじゃ足りないよって言ったのに…」
そう言いながら、彼は、両てのひらを顔の横で上に向け、首をかしげて”あきれた”のポーズをする。
そう。
たしかにサンディップには、「その予算じゃお金足りなくなるよ」と日本にいるときから警告されていた。
けど、まさかロストバゲージして、トレッキング用品やら日用品やらすべてをネパールで買う羽目になるとは思っていなかったし、それにいざとなったらATMで降ろせばいいと思っていた。
まあ結局、標高3400mのATMと、あたしのカードの相性は、合わなかったみたいだけど。
「It’ll be OK! (なんとかなるよ)」
半分は、またサンディップがいつものように小言を言いだすのを止めるため。もう半分は、自分に言い聞かせるように言った。
どうしようもなくなったとき、何より大切なことは、落ち込まないことだと思うから。
“なんとかなるさ”
そう、たいていのことは、なんとかなる。
はず。
そんなこんなで、いつも通り、遅めの出発をしたあたしたち。
時計の針は、もう9時20分を回っていた。
ロッジに登山客はもうおらず、靴を履いて外へ出ると、空はもう早朝の色を過ぎ、真っ青になっていた。
村を見回しても、こんな遅い時間に登山客は見当たらない。
いるのは、桶の水で洗濯をしているおばさんなど、村人だけだ。
「Miho,こんな朝が遅い登山は、君意外としたことがない。」
長く続く石の階段の途中で、サンディップはいつも通り、ぶつぶつ小言を言いながら、前を歩く。
そんな彼には申し訳ないけど、登山客のいない村を歩くのは、村の生活だとか、本来の姿が少しだけ垣間見れる気がして、楽しかった。
そうやって、民家の中を縫うように、くねくね曲がる石の階段を登りきると、ナムチェバザールのてっぺんに辿り着く。
振り返ると、目下には最高の景色が広がっていた。
真っ青な空を背景に、白い壮大な山がどんと構え、その手前にはカラフルな屋根が並んでいる。
自分の目で見た白い山は、写真で見るよりもっと大きく迫って見え、長い階段を登ってほてった顔にあたる冷たい風や、寒い気温の中にできた陽だまりの暖かさなど、写真には写らない様々なものが、心地よかった。
その景色を背景に、サンディップにカメラを渡すと、「早く―」と言いたげな顔をしながらも、
「あなたのおっしゃることなら、何でもいたします。3枚でも4枚でも、何枚でもお撮りしますよ」
と冗談交じりに撮ってくれた。
そこからナムチェバザールを横目に、50mくらい歩くと、どこからか、快活にリズムを刻む太鼓の音が聞こえてくる。
「トトトン、トトトン、トットト トトトン」
辺りを見回し音の出どころを探すと、前方に小学校が見えた。
校庭で、生徒が行進の練習をしている。
どうやら体育の授業中らしい。
少し驚いたのは、これほど山奥の村に、たくさん子供がいることだ。
日本にいると、田舎の学校が、廃校になってしまっているのを聞く。
その感覚を持ちあわせていると、「山奥の村=過疎」のイメージがどうしても湧いてしまう。
ここに日本の感覚を当てはめるのはおかしいけれど、率直に、村にたくさん子供がいることが意外に思えた。
そして、昔、窓から海が見える学校にあこがれていたあたし。
海どころか、これほどまでに壮大な景色の中で育つ子供達を、うらやましく思った。
と同時に、
「もしも自分がここで育ったとしたら」
そんな想像がうまくできないほど、何もかもが自分とかけ離れた世界に、今立ってる非日常自体が、奇跡のように思えた。
そんなあたしの気持ちとは裏腹に、校舎の脇に干された洗濯物は、日常を漂わせながらお日様になびいている。
学校を過ぎると、右手に畑が広がる道に出た。
もう民家は見当たらない。
こんな標高3500mの場所にも、畑があり、野菜を栽培しているのは驚きだ。
一体どんな野菜が育つんだろう。
そういえば、ここで育たない野菜や、動物の肉、卵などは、ヤクや荷物運びの人たちが、カゴに入れて運んでいるのをときどき見かける。
何もないこの道をしばらく歩いていると、前方からサングラスをしたネパール人男性が歩いてきた。
きっと下山中の登山客の、ポーターかガイドだろう。
「ナマステ!」
日本の山でもそうだが、登山中に人とすれ違う時は、あいさつするのが基本だ。
ここでは相手がネパール人だろうと外国人だろうと、「ナマステ」というのが通常。
いつも通りあいさつした。
とその瞬間、男性は立ち止まり、パアッと笑顔になってあたしたちに向かって話しを始めた。
どうやらあたしたちを知っているらしい。
が、あたしはネパール語がわからない。
話の内容は分からなかった。
すると「覚えてる?」という風に、男性がサングラスを外す。
知らない人だ。
しばらくサンディップと会話をした後、男性は握手をして去っていた。
「誰?」
と聞くと、
「知らない」
の一言。
どうやら前回、アンナプルナを登山した際に、途中のロッジで出会った男性らしい。
彼はあたしたちを覚えてるけど、あたしたちは彼を覚えていない。
ということらしかった。
アンナプルナもエベレストも、まったく違う方面にそびえる山だ。
それなのに、たった2度来ただけのネパールで、以前出会った人にまた出会うなんて、すごい確率なのか、世間が狭いのか。
男性が去ってから、あたしたちはしばらく平坦な山肌の道を歩いた。
山肌を歩くのは、遠くの景色まで見渡せて、清々しい。
そんな道をしばらく歩いていくと、道の途中にストゥーパを発見。
「こんな場所に、よく建てるなあ。」
と、登山道でストゥーパを見かける度に思うけれど、きっとそれほど、ここに暮らすチベット仏教徒たちにとって、欠かせないものなんだろう。
ストゥーパの脇に腰掛けて休憩をとり、水を飲んだ後、カバンの横のポケットに水筒を入れるのを
「手伝って」
と言いサンディップに水筒を渡すと、
「Help? 何を? 飲み終えるのを手伝えばいい?」
とまたいつもの冗談を言いながら、あたしの水筒の水を飲むふりをした。
そんなちょっとした冗談を、長い道中に散りばめて、あたしのモチベーションを、保とうとしてくれているのかもしれない。
休憩を終え、またしばらく山肌を歩くと、道は林の中へと入っていった。
林道をしばらく歩き、空腹がそろそろ限界に達した頃、林の中に一軒ロッジを発見。
あーやっと、お昼が食べれる。
そう思って中へ入ろうとすると
「この場所でいい?」
「ここでいいの?」
となぜかサンディップはしつこく聞いてくる。
あたりに他のロッジも見当たらず、次のロッジがどのくらい先かもわからない。
「どこでもいいよ。お昼が食べれる場所なら」
そう言って中へ入り、ここを切り盛りするシェルパ族のおじさんに案内されて二階へ上がると、そこは床のミシミシ鳴る、薄暗いダイニングだった。
あたしたちの他には、誰もいない。
と思って奥の席に着こうとすると、そこには、苦しそうに長椅子に横たわる女性がいた。
誰もいないと思っていたせいで、思わずびっくりした。
欧米系のその女性は、下山途中に体調を崩したのだという。
何もできず、見守るしかなかったけれど、しばらくすると、ガイドの男性と共に出発していった。
ひと段落し、渡された食事のメニューを開くと、思いのほかおいしそうな食べ物の名前が並んでいる。
おかわり自由なダルバートなら、お腹いっぱい食べられる。
が、少し高い。
金欠のお財布と相談して注文したのは、シェルパシチュー。
そして食事が運ばれてくるのを待つ間、あたしはトイレへ向かった。
トイレの場所を探すと、暗く長い迷路のような廊下を進み、何度も突き当たりの角を曲がって、いくつかの部屋を通り抜けた先に、ようやく見つけることができた。
それほど広いとは思えないこの建物のどこに、こんな空間が詰まっているのだろうと思うと、急に怖くなって、子供みたいに走って部屋に戻る。
席に着くと、注文したシェルパシチューが運ばれてきた。
野菜やお米がごちゃまぜに入っているのがシェルパシチューで、この辺りに住むシェルパ族が、発祥の料理。
金欠ゆえに、普段より少なめなお昼を済ませたあたしのために、サンディップはおかわり自由な自分のダルバートの二杯目を分けてくれた。
ネパール人ガイドたちは、登山客の3分の1の値段で食事をとれるが、メニューを選ぶことは出来ず、大抵ダルバートと決まっていた。
ごちそうさまをして、ロッジのおじさんにお金を払うと、おじさんはあたしたちに何かを話し始める。
それは、サンディップにも、あたしにもわからない言葉だった。
サンディップは困惑しながらも「うんうん」と適当に相槌を打ち、ロッジを後にした後で、
“奇妙で異常な”
というニュアンスを込めて、このロッジを
「ユニークプレイス」
と呼んだ。
そんなロッジを後にし、しばらく歩くとヤクの列と出くわす。
ぼーっと立っていると、まるで人間なんて1ミリも見えていないかのように平然と歩き続け、真顔で激突してくる。
小さい頃デパートの屋上でよく乗った、100円玉を入れると動き出す、毛の生えた動物の乗り物みたいだ。
まるでヤク自身に操縦権はなく、ハンドルを握っている人が、別にいるよう。
ヤクが歩いてきたら、絶対に自分の方から道を空けないといけない。
ヤクとすれ違ったあと、またしばらく歩くと、谷川にかかる吊り橋が見えてくる。
いつも思うことは、吊り橋があって本当によかったということ。
そうでなければ、谷まで一度下ってから川を渡り、反対側の山をまた登らなくてはいけなくなるからだ。
そう思いながらながらすいすい渡る、つり橋のショートカットは、気持ちがいい。
両腕を広げてバランスを取り、広げた腕でついでに風を感じながら、揺れる橋を歩いた。
すると、後方から黒い犬がついて来ていることに気が付いた。
一緒に橋を渡りきると、まるで
「一緒に行こう」
と言っているかのように、まっすぐあたしたちを見てくる。
「Maybe he like you!haha」
サンディップにそう言い、また歩みを進めた。
するとここから約2時間もの間、この犬はあたしたちと一緒に歩き続けることになったのだ。
単に偶然同じ道を同じペースで歩いていたというわけではない。
とあたしは思っている。
私達が立ち止まると、前を歩くこの犬は、その度に後ろを振り向き、顔を見上げて待っていてくれたからだ。
何度立ち止まってもそうだった。
途中の分かれ道でどちらに進むか決めかね、ポケットに入っていたコインを運任せに投げている間も、おしゃべりしながら腰掛けて休憩している間も、犬はそばにじっと座って待ち、必ず私達と同じ道を進んだ。
食べ物が欲しかったのか、本当に「He likes us」だったのかもしれない。
そんな犬と一緒に歩くこと2時間、ようやく今日の目的地、タンボチェに到着。
16時3分、あたりはすっかり濃い霧で覆われ、今朝の空の青さが嘘みたいだった。
今日泊まるロッジへと入り、一度部屋に荷物を置いた後、ダイニングへと向かう。
ダイニングでは、部屋の中央に設置された薪ストーブが灯るのを、みんなが今か今かと待っていた。
数時間たち、ロッジのスタッフがストーブに火をつける準備をしだすと、みんなその周りに椅子を持って集まり出し、円になって座る。
こうやって、他の登山客たちとストーブを囲み、暖をとりながら話をするのも、トレッキングの楽しみの1つだ。
そんなふうに、ストーブのそばで暖まっていると、疲れもあり、いつの間にか椅子に座ったまま、数時間眠りこんでしまった。
だが、気持ちのいい居眠りは束の間、夕食の時間にサンディップに起こされ、目が覚めたとき、吐き気と猛烈な眠気に襲われた。
高山病の症状だ。
食事のメニューを見せられても、全く食欲が湧かない。
だが、何を思ったのか、チキンステーキを注文してしまったあたし。
現金をあまり持っていない今、このロッジではクレジットカードが使えることを知り、ここでたくさん食べておかなくてはと思ったせいだ。
けれど、せっかく運ばれてきた料理を見ても、気分が悪くなる一方だった。
それでも、食べなければ、体力が持たない。
吐き気を我慢して、無理やりチキンを口に運ぶ。
が、今度は眠気に負けて、食べている最中にテーブルで眠ってしまう。
こんなに辛い体調を経験したのは初めてだった。
すると、更に最悪なことが待っていた。
やっとの思いで噛み砕いた一口目のチキンを、飲み込んだまさにその瞬間、
「山で肉を食べてはいけない。ナムチェ以降は特にだ。その肉がどうやってここまで来たか知っているか?何日もかけてヤクや荷物運びの人に運ばれてきたんだぞ。登山を始めてから生きた鶏を見かけたか?山で鶏は育たないからな。
肉は腐っていることもある。」
同じテーブルに座っていた、ネパール人ガイドのおじさんが言った。
ネパール訛りの英語でそう言われた瞬間、反射的にチキンの匂いを嗅いだ。
すると、それを見た周りの人たちが笑った。
“そのアドバイスは今じゃない”
心の中でつぶやいた。
もっと早くか、なんなら食べ終わった後にしてほしい。
全て食べるにしろ、まだチキンはほとんど残っているし、食べるのをやめるにしろ、最初の一口目はもう食べちゃった。
そしておじさんはもう一つ、アドバイスをしてくれた。
「とにかく水をたくさん飲むこと、高山病の薬を持っているなら、今飲むこと、そしてよく食べよく寝ること」
おじさんの言うことを素直に聞き、腐っているかもしれないと言われたチキンをおとなしく平らげ、ダイアモクスを一粒飲み、部屋に戻ってすぐにベッドに入った。
読んでくれてありがとうございます!よかったら
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