出発の日。お母さん
12月25日、クリスマス。
普段通りの、平日の我が家。
台所では、母がシチューを作っている。
その周りを、お腹をすかせた飼い猫が、うろうろ歩き回る。
仕事に行った父と、大阪に赴任する弟は家にいない。
私と母と二人だけの我が家は、とても静かだ。
テレビから流れてくる夕方のニュースの音と、野菜を切るとんとんとんという包丁の音だけが、リビングに鳴っていた。
今日はクリスマスだというのに、そして出発の日だというのに、いつもと変わらない時間が流れている。
和室に置いた旅のバックパックと、普段より少しだけ無口に思えるおしゃべり好きな母の背中だけが、旅立ちの匂いを漂わせていた。
我が家では、旅に行く前や、試験の前日など、何か大切な日の夕食は、ピーマンの肉詰めと決まっている。
特に深い理由はなく、たまたま母の作ったピーマンの肉詰めを食べた、その次の日の試験がうまくいったとか、そんなことがきっかけだ。
けれど、そんな我が家の夕食は、今日は私のリクエストでクリームシチュー。
「出発の日、何が食べたい?」
と聞いてきた母に、好きな母の料理ベスト5に入る、クリームシチューをお願いしたのだ。
なぜ、一番好きな料理じゃないかって?
実は数日前から、旅立つ私に、
「今日は何が食べたい?明日は何が食べたい?」
と毎日のように母が聞いてきたおかげで、私の好物はもうすでに食べてしまっていたから。
今回の旅に最後まで反対していた母も、なんだかんだと、私の旅立ちに合わせて色々気を聞かせてくれていた。
こんなとき料理ってあったかいなーって思う。
無言の手紙のようだなーって。
実は母は、数ヶ月前に世界一周の決意を話した日から、毎日のように
「なんでこんな子に育っちゃったんだかねえ。パパもママも普通なのに。どこの血なんだろうねえ。冒険だかなんだか知らないけど、普通に育って欲しかったよ」
だとか、
「あんたが帰ってくる頃には、こっちは心配でハゲになってるか、白髪だよ」
「まあ、無事に帰ってこれるかわからないけど」
などと、いかにも私の母らしい文句をこぼしていた。
それでも、毎日のように私の好物を作ってくれる母は、なんだか可笑しく、そして可愛らしく思えた。
と、ここで私は時計を見た。
針は17時を指している。
「もうそろそろ行かなくちゃ」
17時過ぎ、私は最寄りの駅まで車で母に送ってもらうため、家を出た。
外はもう真っ暗だった。
車に乗ろうとすると、
「その荷物で行くんかい。気をつけなよ。そんな大荷物じゃ狙われるよ。まるでカモだね」
と、また小言を言う母。
”狙われる”
という言い方がまた可笑しくて笑いそうになる。
そうかと思っていたら、今度は車に乗り込むと、
「駅じゃなくて、パスポートセンターまで送っていってあげようか?」
と言う母。
さっきまで小言を言っていたのに、急に優しくなった母に、いい加減笑ってしまった。
そしてそれを隠すために
「えーいいの!?いえーい!!サンキュー」
と少しおどけて言い、私は母の優しさを受け取る。
文句を言いながらも、幾つになっても母は私が心配なのだ。
いや、心配だからこそ、文句を言うのだ。
パスポートセンターまでの30分間、私たちは、しばらく沈黙していた。
その沈黙の中、母は急に、
「今、どういう気分なの?」
と聞いた。
私は、その質問に対し、
「うーん。どうもこうも、なんか、世界一周行くんだ!!みたいな特別感は全然なくて。
飛行機を取ったから空港に向かうだとか、その日買い物に行こうと思ったから駅に向かうだとか、それと一緒。
日本と違う国を見てみたいと思ったから、行こうと思った国に今向かってる。
ただそれだけって感じかなあ。」
と答えた。
もちろん、世界一周は、前々からずっとしたかった夢の1つだ。
楽しみでないというわけはない。
だが、今、空港へ向かう車の中の気分を率直に答えるならそうだった。
私は、何か大きなことをしているつもりも、特別なことをしているつもりもない。
ただ、やりたいと思ったことに素直に行動しているだけ。
それは、この服が欲しいと思ったから買うだとか、ハンバーガーが食べたくなったからファストフード店に向かうとか、そういうこととなんら変わりがない。
やりたいことがあるのに、我慢するのはおかしい。
ただ、やりたいことをしているだけ。
そういう思いだった。
それに対して、母は
「ふーん」
とだけ言った。
パスポートセンターでパスポートを無事増補すると、その後、母はそこから最寄りの駅まで送ってくれた。
駅について、荷物を担ぎ、手を振る前に一緒に写真を撮る。
それから、歩き出す私の背中に向かって、
「お土産は買ってこなくていいからね〜。じゃあね元気でね」
と明るい声で言った。
なんだかちょっとだけ、ふざけているように聞こえる、母の喋り方が、私は好きだ。
背中にも前にも重たい荷物を持ち、手にはギターケースを握る私。
歩き出すと、体重が急に何割り増しにでもなったように感じる。
それを支える膝は、ギシギシ音を立てているように思えた。
そしてそれら全ての重量を支える私のスニーカーは、家を出る前に下ろしたばかりで、まだ私の足に馴染んでいないせいか、余計に悲鳴をあげているように感じた。
この靴は、母が選別に買ってくれたものだ。
どうしても、世界一周当日に下ろしたくて、履かずに置いておいたのだ。
新品のスニーカーを履いた時の違和感は、なんだか新しい環境へ飛び出した時に感じるものと似ていてるような気がした。
そう、私は、今、世界一周という新しい道に向かって、母が買ってくれたこの靴と共に歩き始めたのだ。
きっと帰国した頃には、私もこの靴も、いろんな経験と思い出を染み付けて、ボロボロに汚れていることだろう。
一体どんな未来をこの足で踏みしめることになるのか、その想像に期待に胸を膨ませて。
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Sky’s mommy です。
お母様、一度だけお目にかかったことがあります。もっとお話しして仲良くなりたかったのですが、今からでもチャンスありますでしょうかね。
お元気そうなお顔を拝見できて嬉しいです。
でも、蚊に刺されたときなどすごい心配だっただろうなと感じています。
ニックがこれからも、(困難を乗り越えつつも?)いろんな国で当たり前に楽しく過ごせますように応援しています。