あのアンコールワットへ!
明け方4時。目を覚ますとまだ外は真っ暗だった。
私は、10人部屋のドミトリーに並んだ、二段ベットの下段にいた。
体を起こし、同じ部屋を使う人たちが起きないよう気を使いながら、静かに出発の準備をする。
そう、今日はあのアンコールワットを観光する日だ!
支度を終え、空に星がまだ残る中、ホステルの前で迎えのバンを待つ。
予定時刻の4時半を少々すぎた頃、バンは私たちをホステルまで迎えに来た。
私は昨日、このホステルが運営する、アンコールワットバンで1日観光するツアーに、申し込んでおいたのだ。
参加者は、私の他に、タイ人の女の子、中華系アメリカ人の女の子、アイルランド人男性の3人。
ペットボトルの水、迎えのバン、観光ガイド付きで、10ドルだった。
あの悪質ドライバーは20ドルと言っていたので、その半額だ。
バンは、まだ外が真っ暗なうちに出発し、アンコールワット遺跡群観光のチケット売り場と向かった。
ここでチケットを購入する。
いつ撮られたのか、マヌケな私の顔写真付きだった笑
全員がチケットを購入し終わると、バンはいよいよアンコールワットへと向かう。
まだ日の出前だというのに、すでに多くの人たちが駐車場に到着し、ぞろぞろ歩いてアンコールワットへ向かうところだった。
私たちも、他の人たちに続いて、アンコールワットの目の前の大きな川にかかる木の橋を渡る。
人の足並みに合わせて、橋はユラユラ揺れ、ちょっとしたアドベンチャー気分だった。
橋を渡りきったところで、暗闇にぼーっと浮かび上がった、アンコールワットの城壁を見たとき、私は、「うわ、ディズニーシー」と思わず思った。
ディズニーシーの方が、本物の遺跡をコンセプトにしているに違いない。
なのにホンモノを見た際に、ディズニーシーを思い浮かべてしまう、そんな自分を客観視し、なんだかちょっとおかしくなった。
その城壁の門をくぐると、人だかりが見えてくる。
みんながそこへ近づいて行くので、私たちもそこへ向かう。。。なんだあれ。
結構近づいたところで、やっとその正体がわかった。
それは、アンコールワットの向こうから登る朝日を待つ人々だったのだ。
そしてその人だかりに目が行っていたせいで、私はその奥にあるのがアンコールワットだということに気がつかなかった笑
遠くから見るアンコールワットは、想像していたよりも小さく思えた。
が、鏡のような水に映る姿は想像通り神秘的だった。
こんな風に、みんなが写真を撮るために、人の間からニョキニョキ手を伸ばしてカメラを構えてるのって、ちょっと滑稽じゃない?笑
みんな、インスタに載せるために頑張ってるんだろうあ。
まあ私もそうだけど笑!
「この目に焼き付けて心に残そう」
というよりも、
「誰かに見せるために、いかに画面の中の景色を美しくするか」
ということの方に必死なんだろうな。
私は、その場に立って30分、1時間と、日が昇るのを待った。
まだか、まだかと待ちわび、カメラを構えていたのに、一向に朝日が昇る気配はない。
辺りがついに明るくなり、人がポツポツと何処かへさるうちに、ようやく私はとある事実に気がついた。
「私が気がつかない間に、陽は昇っていた。。。」
ということに。
私って、本当に相当アホなんだと思う。
このブログを読み続けてる人なら、もうとっくに気づいてたかな、、、?笑
カンボジアの日の出時間をグーグルで調べると、もう日の出の時間から30分も経過していた。
日が出てから、30分も、もう既に昇っている日の出を待ち続けてたのか。
マヌケすぎる。
曇り空だったせいで、綺麗な朝日が見られなかったということらしかった。
なんてことだ、、、
とりあえず、夜が明けきり、完全に朝になったアンコールワットの前で、記念撮影。
そしてそして、
このアンコールワットという映画セットと、、、、、
それを見る観客、、、、!
という対比がめちゃくちゃ面白くない?笑。
あのよく見るアンコールワットの美しい写真の裏側では、写真には映らない場所では、こんなことが繰り広げられているのだ。
さてと!アンコールワットの写真を思う存分撮った後は(笑)宮殿の中を、カンボジア人のガイドさんと一緒に観光する。
ここ、アンコールワットは、ヒンドゥー教のお寺であるため、ヒンドゥー教の神々にまつわるお話が、壁画に描かれている。
そのお話を1つ1つ英語で丁寧に、ガイドのおじさんは説明してくれる。
でもそのおじさんの訛りが強いのなんの。
よっぽど注意して聞かないと、普通にクメール語を話しているように聞こえる。
一瞬英語だと気づかないレベル。
一緒にツアーに参加している、タイ人、アメリカ人、アイルランド人の3人と一緒にそのお話を聞いているのだが、ガイドの男性は、1つ1つ話が終わるごとに、私にだけ、
「わかった?」
と聞いた。
アメリカ人の女の子、アイルランド人の男性は、英語が母国語なので、彼らに聞かないのはわかる。
でもなぜかタイ人の女の子にでもなく、私にだけ聞くのだ。
その理由は、後になってわかる。
嘘をついてもしょうがないので、
私は、わかった時には「分かった」と。
わからなかった時には、「分からない」と素直に答えた。
宗教や政治に関するワードが多く、日常会話では使わない言葉が多かったことや、彼の訛りの強さから、なかなか理解に苦しんだのだ。
別にガイドが私にだけ「分かった?」と事あるごとに聞く事を、最初は、気にしていなかった。
だが、あまりにもしつこいのでだんだん不思議に思っていると、その理由がやっと分かった。
彼はニヤニヤ笑いながらこう言ったのだ。
「日本人で英語が喋れる人はほとんどいない。20年以上ガイドをしているけれど、日本人は本当に英語が喋れないね。そして、彼らは英語が喋れないだけじゃない。面白いことに、例え理解していなくても『わかった?』と聞けば『イエス』って答えるんだよ」
彼は私を試していたのだ。いや、もしくは面白がっていたのだ。私がいつでも「イエス」と答えるのかどうかを。
旅に出てから、日本人っていい印象を持たれているんだなあ。と感じることがたくさんあるのだが、
それと同時に、かなり舐められていると思うこともある。
その原因の1つがこれだと私はこの時思った。
「日本人で英語喋れる人ってほとんどいないよね。それに理解してなくても、わかった?と聞くとイエスって言うんだ。彼らはノーと言わないんだよ」ってカンボジア人に言われた。
日本人って良い印象持たれやすいのと同時に、かなり舐められてると感じることがある。その理由の1つがまさにこれだと思う
— 内田美穂 / ギター弾き語り世界一周 (@bleatand) April 10, 2019
そして彼は続けてこう言った。
「15年前まで僕らは必死で日本語を学んだ。だからこの世代で日語を喋れる人は多い。けどもうその時代は終わった。今はカンボジアでは、日本語を学ぶ人は多くない。それは、日本人があまりカンボジアに旅行しなくなったこともそうだが、何より、日本経済に明るい未来はないからだ。」
これは終わった国と思われているようでぐさっときた。日本はすごいというイメージは過去の物になりつつあるのかもしれないと、この時思った。
実際、日本にいる頃から、「日本は沈没しかけている」という危機感は持っていたが、それが旅に出て、他の国の人たちと話すうちに、より強く思うようになった。
15年前まで僕らは必死で日本語を学んだ。だからこの世代で日語を喋れる人は多い。けどもう違う。今は日語を学ぶ人は多くない。日本経済に明るい未来はないから
そうカンボジア人に言われた。終わった国と思われているようでぐさっときた。日本はすごいというイメージは過去の物になりつつあるのかも
— 内田美穂 / ギター弾き語り世界一周 (@bleatand) April 11, 2019
日本丸の沈没。これは海外にいると毎日危機感を感じる。日本人はまだあまり気づいてないかもですが、海外では「日本はもう沈没した」と思っている人は多い。外国からの印象◎な電気機器さえ過去の事と思われてるし「経済が良くない上に英語さえ喋れないんじゃあねえ」と外国人から時々ハッキリ言われる https://t.co/eB59H6L2Eu
— 内田美穂 / ギター弾き語り世界一周 (@bleatand) April 20, 2019
さて、その話はさておき、私たちはそのまましばらく遺跡内の観光を楽しんだ。
よく見ると、手の届かない人の目もあまり届かないような場所にまで、装飾が施されている。
こんな細かな彫刻が、こーんな広いアンコールワットの壁一面に施されているのだ。
これを作るのにどれほどの時間、どれほどの人数が必要だったのか。
アンコールワットは数階建てになっているのだが、それを12世紀前半の人たちが、たった30年で建てたのだというのだから驚きだ。
今と違って、重機や電気もない頃に、一体どんな技術を使っていたのだろう。
アンコールワットの中は、思っているよりも広く、全て見て回るには1日では到底足りるわけがなかった。
その後も、しばらくアンコールワットの中を観光したのだが、悲しいことに、中の壁に書かれた落書きを発見。
そんな広い遺跡内を歩き回って、疲れた私たちは、中庭のような場所で一旦休憩をとった。
そこで、私はガイドのおじさんに、
「アンコールワットって、ヒンドゥー教のお寺だって言ってたけど、今はカンボジアは仏教国だよね?」
と質問してみた。
「いい質問だね。ここが建てられた時代は、ヒンドゥー教国家だったのさ。その時代の王様がどの宗教を信じているかによって、国の宗教まで入れ替わり立ち代りしていたんだ。ある時代には、仏教国、ある時代はヒンドゥー教国家になると言ったようにね。ちなみに、ヒンドゥー教だった時代の方が、カンボジアの歴史でみたら長いんだよ」
これはなかなか意外な話だった。
そして、彼は、仏教についての話をし始めた。
そして、彼が、
「仏教では、ブッダは神ではなく、人間なんだよ。」
という話をした時、急にアメリカ人とアイルランド人がクスクスと笑い始めた。
「ブッダが人?あははは!そんなわけないだろ。そんな話信じてるのか?」
そうコソコソと、けれど確かにガイドに聞こえる声で言ったのだ。
更に「頭がおかしい」とでも言うような表情をあからさまに見せ、更には手のひらを上に向け首をすくめる「なんてこった」のポーズまでした。
私は、これに相当な不快感を覚えた。
キリスト教が大多数を占めるアメリカ人やアイルランド人にとって、宗教の教えを説く者が「神ではなく人」というのは、確かに理解し難いことかもしれない。
でも、他の宗教の話をあざ笑うのはどうかと思った。
別にガイドの男性は嘘を言っているわけではない。
「ブッダは悟りを開いた人だ」というのは、私たち仏教に慣れ親しんでいる人たちからすれば一般常識だ。
それが真実なのか、伝説なのか、ブッダに関する全ての言い伝えが本当であるのかなどは、私にはわからない。
でも”「ブッダは人だ」ということになっている”のは事実だ。
日本よりもよっぽど熱心な仏教徒の多いタイ人の女の子は、ガイドの話をすんなり受け入れていたが、どうもこの二人には信じがたい馬鹿げた話のようだった。
更に、彼が「ブッダのお骨は、仏教国である色々な国に、今も保管されている。」
と言うことを言った時、彼らの笑いは爆笑に変わった。
そして笑うだけならまだしも、彼らは、そのガイドにわざと見えるように、「こいつ頭がおかしい(He’s crazy)」と言いながら肩をすくめるポーズをし、嘲笑の表情を見せ合いながら二人でこそこそ笑い合った。
彼らがついにケラケラ笑うようになると、ガイドが何を話しても無駄だった。
最後には、話の途中で、アメリカ人の女性は「もう行こうよ。そんな話いいから。歩き始めない?」とちょっと話が長すぎない?と言うように怒った口調で提案した。
その後、先を歩くガイドの男性の後を少し遅れて私たちは歩いたのだが、そこでアメリカ人の女の子が私のところに寄ってきて、こんなことを耳打ちした。
「彼、言ってることがちょっと変だから、彼の話は鵜呑みにしないほうがいいわよ」
私は、内心、彼女に対して怒りがいっぱいだった。
自分の知らないことを、嘘だ、デタラメだと決めつけ、ガイドを頭がおかしいと言い、嘲笑い、それだけでなく、最後には、私にまで「ガイドはおかしい」と言うことに同調させようとしてきたのだ。
そしてその仏教の話の後から、彼らはガイドの男性の話を一切信じなくなった。
私たちが、遺跡の中を歩いている時、セミの鳴き声を聞いた際もそうだった。
その時、ガイドの男性は「これは、Locustという虫だ。日本語では「Semi」という」と説明してくれた。
「この昆虫は、鈴虫のようだけど、他の鈴虫たちと違って、木に止まっているんだ。日本だと、夏にだけ生きる。そしてもっと大きな音を出すんだ」
そう言った時、また彼らは「彼、頭がおかしいわ。鈴虫は地面にいるものよ。木に止まる鈴虫なんて聞いたことがない。」と言ってケラケラケラケラ笑いだした。
そして、わざとらしくまた「こいつ頭がおかしいの」表情をお互いに向け合うのだった。
もう、ガイドが何を言っても同じだった。
遺跡の歴史について説明をしても、壁画について説明をしても、彼らはずっとその態度をとり続けた。
その後も4時間ほど観光は続いたが、その間ずっと、ガイドが何かを言うたびに、例え歴史的事実や宗教の説明をしていても、声をあげて笑うのだった。
私は、本当に悲しくなった。
無知が思い込みを生み、人をバカにし始めると、それはなかなか消えない。
例え正しいことを言っていたとしても、一度「頭がおかしい」と言うレッテルを貼られると、その後全てが間違っているようされてしまうのだ。
そしてそのレッテルを貼る人が、二人以上集まると、一緒になって嘲笑い、面白がる。
いじめや差別、戦争、紛争はこう言った勘違いから始まるのだろうと思った。
もし、私たちが
「キリストが死んだ後に生き返ったって?イエスの復活?そんな話馬鹿げてるね!」
と言ってケラケラキリスト教の話を笑いだしたら、彼らはどんな表情をするのだろう。
その後、アンコールワットの観光を終えた私たちは、近くのレストランで朝食をとった。
この後は、他の遺跡群へと向かう。
2019/3/31
次の記事:ラピュタの世界へ
前の記事:カンボジア人家族のやさしさ
読んでくれてありがとうございます!よかったら
ポチッと↓ヽ(*^ω^*)ノ
SNSなどでのシェアもよければぜひ!!
下記シェアボタンから!
👇👇👇👇👇