エベレスト9日目③ 標高5550mカラパタールで死ぬ思い
9日間エベレストを歩き続け、ラストスパートの岩をよじ登り、ついに、最高標高地点のカラパタールへと到達した私。
そこは、岩石の集まりのてっぺんにできた、人二人が居すわるのにやっとなほどの、狭い狭いスペースだった。
後ろの空は、青黒くどこまでも向こうへ続いていた。
大きな岩の塊が、ごろごろしている中で、なんとか座れそうな岩を見つけ、そこに寄りかかるようにしてほぼ立ったまま腰を掛けた。
そしてその場所から、目の前に広がる景色を見回すと、思わずため息が出た。
と言っても、酸素の薄い中を歩いてきたせいで、ため息をつく暇のないほど息が切れていたのだが。
もし、呼吸が通常運転であったら、ため息をついていただろう。
“ただ立ち尽くす”
この時の私の様子を表すのには、この言葉がぴったりだったと思う。
寒さも忘れ、しばらく声も出ず、ただ目から入る景色をそのまま脳みそに垂れ流していた。
この時こそ、「山は生きていたらいいな」と思った。
もしも私が、この壮大な景色を包括できるほどの長い腕を持っていたら、思い切り、目に映る全てを抱きしめていたに違いない。
目の前の景色に向けて、「アイラブユー!!!」と叫びたいほどだった。
この景色に対し、2:3のカメラの枠の制限は、あまりにも小さすぎる。
360度。
360度。
周りを360度、この景色が覆い尽くしているのだ。
その景色をそのまま見せることができないのが、本当に悔しい。
真正面には、ヌプチェ山の後ろから、威厳を放つエベレストが黒い頭をのぞかせている。
そして斜め左方向の目下には氷河が広がり、
右を向けば、どこまでも続く山脈が、後方の方まで遠く広がっている。
どこを向いても、人の手の加わっていない、そのままの姿の自然が広がっていた。
地球は本当にすごい。
同じ一つの星の上に、ネオンの光る人混みのビル街と、電気ひとつない人の住めない大自然が、両方存在しているのだから。
360度、見渡す限り、自然しか目に入らない場所なんて、そうそう訪れることはできないだろう。
どんな自然公園でも、ぐるりと一周その場で一回転してみれば、大抵人工物が目に付く。
登山をしたって、山頂から見下ろせる景色は、家々の並ぶ街並みだったりする。
人の住んでいる場所からよほど離れた場所へ行かない限り、本当に人の手の加わっていない場所に訪れられる機会は、なかなかない。
逆に言えば、ここは、何か起きた場合に、すぐに人の助けを呼べる場所ではないということでもある。
ところで、意図せず撮れてしまった私の顔面は山の強い紫外線で、日焼けして、皮がむけて肌がおかしなことになっていた(笑)
全くいい写真が撮れた笑。
この写真を撮ったあと、サンディップは私を残し、そそくさと一人でロッジに向かって下山してしまった。
体調が悪いのだから、まあ当たり前だ。ここまで来てくれたことに感謝だ。
私は、彼の帰ったあと、一人でこの場所にしばらく腰掛け、景色を眺めていた。
1時間でも、2時間でも、ここへ腰掛け、この景色を眺めていたかった。
しばらくすると、一人の白人男性が、こちらに向かって歩いてきた。
ラストスパートの岩場に彼が辿り着いた時、私は彼の方へ手を伸ばし、ストックを預かり、彼がここへ這い上がるのを手伝った。
その男性は、チリから来たのだと言う。
あまり会話はしなかったが、しばらく、彼と並んで座り、一緒に景色を眺めていた。
日本とチリという、地球のほぼ裏側に住む私たち同士が、ネパールのエベレストの、カラパタールという小さな小さな人二人が居座れるほどのスペースに、たまたま居合わせたのだから、なんだか不思議な巡り合わせだ。
そんなことを感じながら、私は、この広い広い壮大な空間を感じていた。
と、まさにその時、私はものすごい尿意に襲われ始めた。
覚えているだろうか。
私は今朝、膀胱炎になり、ものすごい尿意の為に1時間もトイレにこもっていたことを。
膀胱炎にならないための秘訣は、水をよく飲むことだ。
それを頭に入れながら、途中小まめに水を飲みながらここまで登ってきたお陰で、トイレに行きたくなってしまったのだ。
よく考えれば、ロッジを出発してから数時間歩き続けてきたわけで。
そろそろトイレに行きたくなる頃と言えばその頃だ。
だが、こんな場所にトイレなどない。
もちろん、道の途中にもだ。
一番近いトイレは、ゴーラクシェプの私が泊まっているロッジである。
遠く向こうの元来た方向を見つめてみたが、数時間歩き続けてやっとたどり着いたこの場所から、ロッジなど到底見えるはずもなかった。
その間にも、猛烈な尿意は、私の膀胱を襲う。
今朝、ひどい膀胱炎になったこともあり、その尿意の強さは只者ではなかった。
ついに私は、チリ人の彼の横で、もじもじし始める。
私は、今できる最善の策は一体何か、酸素の薄い中で、そしてこの大自然に感動した心持ちの中で、必死に脳みそを動かし考えた。
頭に浮かんだのは、
ロッジまで数時間我慢するか、
それとも青空の下で用を足すかの二択だ。
が、ロッジに下山するまで、この尿意が持つわけもない。
となると残りは一択なわけだ。
だがそれは、23歳、仮にも女子である私にとっては多少なりとも大きな決断である。
トイレ以外の場所で用を足したのは、いつが最後だろう。
きっとまだ、記憶のストレージが、しっかり出来上がる前のことだろう。
ましてここはエベレストのカラパタール。
このトレッキングでの、クライマックス地点だ。
こんな場所で用を足すなんて。
そして隣には、男性が座っている。
いくらこの私にでも、多少の躊躇はあった。
が、いよいよチビりそうになったその瞬間、もはやこの強烈な尿意はそんな躊躇いを一瞬で吹き飛ばし、私の体を勝手に立ち上がらせていた。
「アイ ワナ ピーピー!この岩の陰でオシッコするけど、まじでスミマセン。本当に気にしないでください!!」
と彼に向かって英語で言い放つと、私は岩石の塊を駆け下りた。
「ok。気にしないよ」
と1ミリも動ぜずクールに言う彼の言葉が、背中に冷たく刺さる。
なんならもう少し、笑うなりしてくれた方が、気が楽だ。
すでに膀胱が破裂しそうだった私には、大変な思いをしてよじ登ったこの岩の階段は、トラップのように感じた。
そうして彼のいる場所から2mほどくだった場所で、岩の裏側へと周り、誰も私を見ていないか周りを確認する。
人の姿が見当たらないことを確認すると、冷たい強風の吹く中、エベレストの標高5550m地点で、絶景を背に私は用を足した。
こうして命からがらに、失禁という事態免れ、23歳にして何か大切なものを失う代わりに、また一つ武勇伝を得たのであった。
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