エベレスト9日目④下山の始まりは、アクシデントから
標高5550m、エベレストトレッキングのクライマックス地点カラパタールの岩陰で、
猛烈な尿意に耐えきれず、絶景を背に用を足した私。
出すものを出し切って、これでひとまず、一安心だ。
と思ったのも束の間、用を足して立ち上がり、ズボンを上げた次の瞬間、再び猛烈な尿意に襲われた。
膀胱炎だ。
用をたす前に尿意を我慢したせいで、今朝のひどい膀胱炎がぶり返したのだ。
岩陰に立ち尽くし、ごうごうと凍えるほどの風が吹き付ける中、この最悪の事態に、一瞬で顔が凍りつくのが自分でもわかった。
通常、膀胱炎になると、数十秒、もしくは数分に一度、トイレに行きたくなってしまう。
が、ここからゴーラクシェプのロッジまでの数時間、トイレなどない。
そして、更に最悪なのがここからだ。
ここは標高5550m。木一本生えることのできない高山地帯だ。
あたりを見渡すと、だだっ広い乾いた岩石の大地が広がるだけで、物陰一つなかった。
つまり、ここからロッジまでの数時間、数分に一度襲ってくる尿意に全て耐えきるか、もしくは物陰一つない大地の真ん中で、羞恥心にまみれながら用を足さなくてはいけないということである。
ここ、カラパタールの大きな岩だけが、ここらに存在する唯一の物陰だった。
私は、膀胱炎になったことにどん底の気分を味わいながらも、せめてこの場所で再発してくれたことに少なからず感謝した。少なくとも誰にも見られずに用を足すことができたからだ。
そして私は、岩陰に立ったまま、今下山すべきか、それともこの物陰でしばらく尿意が収まるのを待つべきか考えた。
が、こんな場所でしばらく動かずにいたら、凍えてしまう。
そんな寒さに耐えきれる自信はなかった。
すると、
「もうどうにでもなれ!」
という思いが湧き上がり、私は早足で下山を開始した。
大きな大きな岩石の上を、飛び移るようにして、山を下っていく。
その間にも、猛烈な尿意は私を襲い続けた。
ちびりそうになるのを、お腹に力を入れて我慢し、心を無にしながら、青空の下を一目散に駆けていった。
途中、少しでも膀胱炎を軽減するため、水を飲もうと水筒を開ける。
が、行きにも膀胱炎対策のため水を飲み過ぎたせいで、もうほとんど中身が残っていない。
はあ。もう全力で走る以外に取れる策が思いつかない。
と、本当にどん底の気分で小走りに下山していくと、幸いなことに、次第にその尿意は薄れていった。
すると前方の方から、女性が一人、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
その女性は、下を向き、本当にゆっくりとしたスピードで、いかにも辛そうこちらに近づいてくる。
顔をネックウォーマーで覆っていたせいで、目から下は見えなかったが、なんとなく見覚えのある風貌だ。
彼女が手の届きそうな距離まで来たとき、私は思わず彼女に話しかけた。
「もしかして、チェンさん?」
すると彼女はゆっくりと上げ、私の方を見た。
かと思えば、次の瞬間、私に抱きついてきた。
彼女は、二日前に同じロッジに滞在していた中国人女性だったのだ。
高山病で頭痛がひどく、酸素の薄い中息も切れぎれで呼吸も辛いのだという。
そんな中、たった一人でこの場所を歩いていたのだ。
そんな極限状態の中、見覚えのある私の顔を見て少しホッとしたのか、彼女は急に涙を流し始めた。
少し驚いたが、私はその感覚がわかる気がした。
大学時代、100キロハイクという、埼玉と群馬の境にある本庄市から、早稲田大学まで2日間ぶっ通しで歩き続けるという鬼畜なイベントに参加したとき、あまりの極限状態に、「頑張ってください!」と声をかけてくれる道ゆく知らない人たちの言葉に、いちいち涙していたからだ。
「泣かないで。ほら、あと少しだよ」
と声をかけ、私は、彼女の肩を優しくさすり、励ました。
ここは、人を感極まらせる辛さや、感動、一言では言い表せられないものがある場所なのだ。
登山者の数だけ、思いの詰まったドラマが存在する。
私は高山病にこそなっていなかったが、ガイドのサンディップを含め、高山病やら膀胱炎やら、様々な体調不良に悩まされながらも、カラパタールを目指している。
「大丈夫。この先、その辛さに見合うほどの、いや、それ以上の感動が待っているから」
再び歩き始めた遠ざかって行く彼女の背に、私は心の中でそっとつぶやいた。
彼女を見送り、前を向いて歩いて歩みを再開した後、私は私で膀胱炎の再発の恐怖を抱きながら、早足で山を下った。
まるでいつ爆発するか知れない時限爆弾を抱えているようだった。
くれぐれも、爆発するなら、人のいない場所でしてほしい。
被害者は私だけで十分だ。
誰も私が用を足すところなんて見たくないはずである。
私だって見せたくない。
人のいる場所で再発したりしたら、それこそ大災害だ。
どんな爆弾も、爆発しないに越したことはないのだが。
そうして早足に山を下っていくと、ついに、私の目指すべきトイレ、いや、ゴーラクシェプの村が目下に見え始めた。
だんだんと近づいてくるロッジの屋根たちは、徐々に輪郭をはっきり現し始める。
私はこのとき見た景色を決して忘れないだろう。
それは、膀胱炎の恐怖に安堵した瞬間だったからではない。
どこまでも広がる壮大な山脈と氷河を背景に、人の住めるようなところでないこの場所に、平然と、飄々と佇んでいるこの村が、とても神秘的で、クールだったから。
しばらく立ち止まり、可笑しいほどの青空の下、真っ白に広がる白い地面の上にカラフルな屋根を並べているこの小さな村を、眺めていた。
風の音以外、何も聞こえない。
何も反射するものがないから、音が乾いた宙にスッと消えてなくなる。
寒いのに可笑しいほど陽が照っている。
ものすごく広いのに、見渡す限り誰もいない。まるで自分だけの空間のよう。
この感覚が本当に好きだった。
やっとの思いでロッジにたどり着いた時、まず真っ先にトイレに向かい、水筒にお湯を入れてもらい、そして昼食におかわり自由なダルバートを注文した。
ガイドのサンディップとも再開し、元気にご飯を食べる姿を見せてくれた。
さて、昼食を済ますと、あまりうかうかしていられない。
今日は標高4900mまで下山しなくてはいけないからだ。
今朝の膀胱炎のおかげで食らった相当な遅れを取り戻すため、昼食を済ますとのんびりする間も無くロッジを出発した
とここで、私はどうしても、あの映画「神々の頂」のロケ地となったロッジへもう一度寄りたくなり、軽く引き返してそこへ向かった。
私たちの泊まったロッジの、ちょうど斜向かいの位置にそのロッジは位置していた。
そしてここがそのロケ地となったロッジだ。
数人の登山客がダイニングで休憩中だった。
私は映画を見ていないが、すでに映画を見た人は、この場所がどのシーンで使われていたか、わかるかもしれない。
そして、ロッジのお兄さんと一緒に記念に写真を撮ってもらった。
彼は、阿部寛や、岡田准一など、出演者たちがここで撮影しているところを見ていたのだという。
さて、一通りロッジを見て回ると、今度こそ、私たちはゴーラクシェプの村を後にした。
振り返ると、私たちの辿ってきた、カラパタールへと続く道が、乾いた丘の上にくっきりと浮き上がっていた。
さあ、この岩の道を、青すぎる空の下、足早に下って行くと、数時間で、標高4900m、ロブチェの村が見えてきた。
日はもう落ちかけている。
今日はこの村に滞在だ。
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