ついに、2ヶ月ぶりに、ギターと再会…!?
朝起きると、もう、12時半を過ぎていた。。。。
言い間違えました。
昼に起きました。
「ああ、また寝坊した」
というあの罪悪感と共に、私がベッドで目を覚ましたちょうどその時、
「ミホ〜君にご馳走するから、リビングに来て〜!」
と、とある男性が、私を部屋の外から呼ぶ声が聞こえた。
また彼だ。
私は最初、彼を普通の友達だと思っていた。
だか、最近彼が、他の女性にはしないことを私にだけしてくれることに気がついていたので、
「お腹空いてないから大丈夫。もうちょっと寝るから」
と言って断った。
彼は私に、
「マレーシアの次は、僕の国に来て。お願いだよ。」と、
私たちの周りに人がいなくなる隙を狙って、毎日言いにくるのだ。
それにこんなことまで言うの。
「家もタダで泊まっていいし、仕事も探してあげるし、服も食べ物も全部買ってあげる。
欲しいものはなんでも買ってあげる。」
と。。。
それに、私がインドへのフライトチケットを取ろうとしたら、
彼はそれに合わせて同じ日の飛行機を取ろうとしたのだ。
「ホテル代も食事代も何もかも出すから一緒に行かせてくれ」と。
「君と会えなくなったら、死んでしまう、、、」
と断っても断っても毎日のように言うのだ。
そんな彼に、曖昧な態度をとるのはよくないと思い、
私は、最近は色々なことを断るようにしている。
彼が、ドアの外から私を呼んだ時、
私と同じ女性部屋にいたリアは、
「どうしたの?」
と私に聞いてきた。
私は事情を話すと、リアは、
「彼には気をつけて。
彼、前は私にもそうだったのよ。でも、私に彼氏がいるって知ってから、一切私と口もきかなくなったの。
今はあなたがターゲットみたいね。
ちょっと気をつけて」
とアドバイスしてくれた。
するとここでリアの電話がなる。
その甘い声、ニヤニヤした幸せそうな顔からすると、どうやら相手は彼氏らしい。
リアは、私の4つ上のインドネシア人。
リアも私が初めてここにきた時からここに滞在している。
もう2ヶ月間ほど、毎日同じ部屋で寝泊まりしている、いわばお姉ちゃんのような存在だ。
世話好きで、とっても寛容な、おおらかな女性。
恋愛系のアドバイスをよくしてくれる。
特に旅中、ホステルに泊まっていると、女遊び目的で近づいて来たり、夜中にバーに誘ったり、やたらと触ってきたり(苦笑)、ホテルに誘ったりする男性がしょっちゅういるのだが、彼女はそういう男性を見抜くのがとってもうまい。
だからよく、そういうアドバイスをくれたりもした。
そんなリアと、私と、ムーンは、いつも一緒の仲良しだ。
長電話の後、
「I love you baby, bye」
と言って電話を切った彼女は、私に恋愛の相談をしてきた。
と言うより、半分くらいはのろけなのだが笑
でも私は彼女のそんな話を聞くのが好きだ。
と言うこともあって、私たちは、2時間も、恋バナで盛り上がってしまった、、、、
ハッと気がついた時にはもう2時半。
やべ!!ギターとりいかなきゃ!!
実はね、数日前に、税関から
「あなたのギターを税関でしばらく預かっていました。
長らく時間がかかってしまい申し訳ありません。
今は、マレーシアの郵便サービスのカーゴハブで保管しています。
そこからあなたのいる場所まで送るには、更に50RM払ってください。
じゃなければ自分でここまで取りに来てね」
と言う内容のメールが届いていたの。
私は、それを受け取った時、
「はーーー!なんでそんな時間かかった癖に、なんでまたお金払わにゃいかんのだ!!!
しかも私はマレーシアの指定した住所まで送ってもらうように頼んで、そこまでの料金を払ったはずなのに、なんでカーゴハブから先の配達はまたお金払わなきゃいけないの?
ふざけんんあああああ!!!」
とまでは思わなかったんだけど、
今これを書いていてそれを思い返すと、そう言う気持ちになってくる笑笑笑
それとね、1ヶ月のラマダンの期間が終わったのが先週の水曜日、6月5日。
この日が6月11日。
この時ね、なんと先週の水曜からなんと、郵便局はおろか、レストランも会社も何もかもが、ラマダンの終わりを祝うための約1週間の祝日に入っちゃったわけ。
日本で言えば、ゴールデンウィークのようなものだ。
で、2ヶ月待ったギターのありかがやっとわかったにも関わらず、1週間も、何もできずホステルで待っていたのだ。
そう、だから、
その長い祝日の明けた今日は、
なんとしてでもギターを取りに行きたい!
でも、まあその前にちょっと腹ごしらえ。
いつもの名前のないレストランへ向かうと、ちょうどおじさんが準備しているところだった。
「おう、君か」
と真顔で言う彼に、私は、
「今日も昨日と同じ4RM(約105円)で何か作れる?」
と聞いてみる。
すると彼は、
「of course, why not?(もちろんできるさ)
you know? Nothing is impossible!
日本は第二次世界大戦の後、爆弾で、瓦礫だけの街になったろ?でも、そうなった後、なーんにもない所から、今は他のどの国より、なんでもある国になった。
できない事なんてないのさ。」
と言った。
私は、胸を打たれた。
そうだ、できないことなんて、この世にない。
やろうと思えばなんだってできる。
私はそう信じている。
彼はこの日、オムレツを作り方を、最初から最後まで丁寧に教えてくれた。
何の材料を入れるのか、入れる順番なども全て。
そうしてできたオムレツは、やっぱり最高の味だった。
私がそんなご飯を食べていると、彼は、今度は、バターの作り方を教えてくれた。
彼はバターまで一から手作りで作っている。
バターを作るときにでた、ヨーグルトのような味のミルクのことをバターミルクというのだが、彼は時々それを飲ませてくれるのだった。
朝食(実際はもう昼を過ぎていたけれど)を終え、さてとギターを取りに行くか!と腰を上げた瞬間、突然、ザーザーぶりの雨が降ってきた。
もはやザーザーぶりという表現では表現しきれないほどの大雨だ。
ここは雨季の東南アジア、
毎日スコールが降る。
そのスコールに対して、「ザーザーぶりの雨」など、
ロブスターをザリガニと呼ぶのに等しい。
とにかく、まあ最悪なタイミングだ。
雷まですごい音で鳴っている。
つくづく、このギターの件に関して、ついてないなーと思う。
それでも、行くしかなかった。
スコールの中、走ってホステルに戻り、外へ出る支度をする。
こんな時、持ってきた、モンベルのレインジャケットが役に立つ。
傘なんてささなくたって、この大雨の中でさえも、
それを着てフードをかぶれば、濡れずに済むから。
私はそれを着て、この雨の中、意を決して外へと出た。
上はモンベルのジャケットを羽織り、下は短パン一枚にビーサンだ。
一応、着替えの黒いスポーツタイツだけは持って。
外へ出ると、誰もが予想できただろうが、10秒で、ジャケットを着ていない下半身が、びしょびしょになった。
それでも歩いていくしかない。
私は、ほぼ川のようになったアスファルトの中を、ビーサンでじゃぶじゃぶと歩いた。
叩きつける雨の音で、ほぼ何も聞こえない。
道路は、雨で浸水していた。
この雨の中、歩いている人なんてほぼいない。
見かける人がいるとしたら、それは軒下で雨宿りをしている人たちだ。
道を歩いている私は、周りの人からは、
まるで頭がおかしいというような目でジロジロ見られる。
たった徒歩5分の距離の、空港へと向かうバスターミナルへ着くと、言うまでもなくズボンとパンツはびしょびしょだった。
私は、バスターミナルのトイレで、持ってきたスポーツタイツに履き替え、パンツは脱いだ。
いわゆるノーパンだ。
そして、履いているのは、スポーツタイツ一枚。
変態だ。
まあ緊急事態だ。しょうがない。
濡れたズボンで、東南アジアの冷房のガンガン効いたバスの中に1時間もいたら、凍え死んでしまう。
ようやくターミナルで、片道12RMの空港行きのチケットを買い、
バスに乗り込むと、空港へ向けてさあ出発だ!
ここから一度空港へ向かい、そこからまた20分タクシーでカーゴハブへ向かう。
バスが出発する頃には、時刻は15時30分になっていた。
カーゴハブが閉まるのは、17時半。
2時間もあれば、まあ着くだろう。
少し心配になりつつも、バスに乗り込む、
が、その不安は、私が空港に着いた時に、現実となった。
私が空港に着くと、すでに、時刻は17時になっていた。
ここからカーゴハブに行くまでは、タクシーで20分。
上手くいって、10分前にギリギリで滑り込める。。。。
私は慌てて配車アプリでタクシーを予約した。
だが、ドライバーの姿は一向に現れない。
ドライバーから、今、空港の入り口に着いたという電話もかかってくるのだが、彼の姿は見えなかった。
ここは空港。
入り口なんて、たくさんある。
私は、そういうことを忘れていたのだ。
仕方なしに、空港の前に泊まっていた出待ちのタクシーに、カーゴハブまで行ってくれるよう頼んでみる。
が、
「そんな遠いとこ行きたくないね」
というのが答えだった。
そうこうしている間に、時刻は、カーゴハブの閉まる、17時半を回った。
私は、約3時間と、空港までの往復のバス代、24RM(600円)を無駄にしたのだった。
お金のない私にとっては、超絶痛手だし、マレーシアという国での600円は、ちゃんとした食事6から10回分に相当する。。。。
6/12
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