聖なる寺院パシュパティナート|ネパールの火葬場で見たヒンドゥー教の死生観とは? | 旅するシンガーソングライター|内田美穂
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2018/1/25~2018/2/8 ネパール

聖なる寺院パシュパティナート|ネパールの火葬場で見たヒンドゥー教の死生観とは?

パタン、バクタプルと、ネパールの古都をまわった後、バグマティー川の岸に建つ、ネパール最大のヒンドゥー教の寺院

「パシュパティナート」へやってきた。

ガンジス川の支流にあたるバグマティー川は、
聖なる川と見なされていて、
ここでは沐浴している人々の姿も見られる。

      

人が火葬され、川に流されていくところをこの目で見たのは、生まれて初めてだった。

人の皮膚が、髪が、肉が、目の前で、パチパチと音を立てながら燃えていく。

ごうごうと立ち上る煙からは、嗅いだことのない異臭がする。

これが人が焼ける匂いなのか。

最初に手足がポロリと落ち、次に胴体、そして頭の順に朽ちていく。

硬い頭はなかなか燃えず、頭蓋骨だけが最後までくっきりと炎の中に浮かび上がっていた。

一つ、そしてまた一つ、

バグマティ川に遺灰が流されていく。

そうして空になった火葬場には、休む間もなく、
次から次へと遺体が運ばれてくる。

さっき運ばれてきて、今まで確かにそこにあった遺体が、数時間後には消えてしまう。

遺灰もすべて川に流され、死んだあとには何一つ残らない。

人が死に、そして完全に消えていく。なんてあっけないんだろう。

ヒンドゥー教の宗教観では、輪廻転生を信じるため墓を作らない。

それが日本で育った私には少し寂しく思えた。

 

小さいころからなんとなく、
お墓参りに行くと、そこに入っている亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、その上の遺影でしか知らないご先祖様まで、

「いつも見守ってるよ」って

あの世から言ってくれてる気がした。

 

だから、お墓を持たないヒンドゥー教徒は、どこで亡くなった人を想うのか疑問だった。

そう思ったら次々と色んな疑問が浮かんだ。

 

死んだあとたった一人で灰となって川に流され、
やがて広い海を旅するのは、さみしくないのだろうか。

 

遺灰もお墓も残らず、自分がこの世から完全に消えてしまうことに、
恐怖は感じないのだろうか。

 

 

火葬の仕方も日本とは全然違っていた。

ここでは火葬炉もなければ棺もない。

あるのはたった一枚の布と、一緒に燃えていく薪だけ。

 

運ばれてくる遺体を誰でも見る事ができ、知らない人の遺体がすごい異臭を放ちながら燃えていく様子をみつめている。

死後の姿を見ず知らずの人たちに晒し、サルや野良犬、牛たちにでさえも見守られながら朽ちていくなんて、

なんて大っぴらであからさまなんだろう。

 

人が死に、燃やされ、灰になっていくその間にも、

バグマティー川はすべてを受け入れ、ゆったりと流れ続けている。

ここでは死はごく当たり前の普通のことなんだ。

何も特別なことじゃない。

騒ぐ必要もなければ、こそこそする必要も、仰々しくする必要もない。

死んで、ただ堂々と天国へ向かっていく。

 

それに比べて日本人は、死をすごく特別なものだと感じていると思う。

少なくとも私はそうだった。

 

“死んだら全てが終わってしまう”

 

だから死を特別なもので、自分とは関係のない、

日常とは違う遠いところへ追いやろうとしていた。

出来るだけ考えなくて済むように。

 

だけどヒンドゥー教徒にとっては違う。
死は終わりを意味するのではない。

生まれて、死んで、また生まれかわってっていう、雄大な時の流れの中の、ただ一部なんだ。

死は生きることと同じくらい自然なこと。

日が昇り、また沈むのと同じように、ごく自然に、生まれて、生きて、死んで、そして生まれ変わっていく。

 

そんな宗教観からか、ここは火葬場なのに、不思議と、悲しそうな顔をしている人がいない。

日本の火葬場のような、悲しい雰囲気が全く感じられなくて、むしろ微笑ましい顔をしている人がたくさんいた。

 

疑問に思い、ネパール人の男性に、
「みんな泣かないの?悲しくないの?」
と質問してみた。

すると

「死は悲しいことじゃない。
幸せな場所へのお見送りなんだ」

って教えてくれた。

それでも女性や子供は時々涙を流してしまうらしい。

 

別に仏教徒ってわけではないけど、
やっぱり日本で育った私は
「あの世」ってものをなんとなく信じている。

それに比べて
生まれ変わりを信じるヒンドゥー教には
「死後の世界」はない。

それが私には、
最初はすごく不思議な感覚だった。

価値観って、ほんとに世界中で違っている。

ここに運ばれてきた遺体の体は、
親族の手で、
聖なるバグマティ―川の水で洗われる。

この世での罪を洗い流すのだ。

罪は口から出ていくと信じられているため、
洗うときは最初に口から洗う。

体を洗った後は火葬台へ運ばれ、
その周りで遺体を3周まわしたあと、
火葬台に置かれる。

そして遺体の唇に火をつける。

口から火をつけると、
悟りの境地「ニルヴァ―ナ」の門が開き、
そこへ行けるのだそう。

父親が亡くなった際には長男が、
母親が亡くなった際には一番下の息子が、
火をつける。

長男は父の背中を見て育ち、
末っ子は母親に甘えて育つからだそうだ。

ここパシュパティナートは、
多くのヒンドゥー教徒が最期の瞬間を迎える場所として望む場所だ。

ここで亡くなるとニルヴァーナへ行くことができると信じられているからだ。

そのため、パシュパーティナート内にある、
ホスピスという施設には、
死期の迫った人たちがたくさんやってくる。

何か月も、何年もお金を貯め、
ここで一生を終えるためにここにやってくるのだそう。

ご存知かもしれないが、ネパールにも、インドと同じくカースト制度があった。

今は公にはカーストは存在しないが、その名残りが様々なところに残っている。

火葬もその一つだ。

パシュパティナートにある火葬台は
大きく3箇所に分けられていて、
そのどこで火葬されるかによって、
裕福かそうでないのかがわかってしまう。

庶民の火葬場は、橋の下流で、
上流にいく程身分が高いことを表す。

一番上流の火葬場は、
王家の人間しか使うことができない。

今でこそカースト制度はなくなったが、
その名残はあり、
今でも違う身分同士の者が結婚することは難しい。

だから、どんな家に生まれたかによって、
どこで火葬されるかがほとんど決まってしまう。

生を受けた時から、その生を手放す時のことが決まっているのだ。

日本であれば、
自分の努力ややる気次第でなんでもやりたいことができる。

ときどき、世間体を気にしすぎて自分を縛っている日本人を見ると、窮屈な国だと思うけど、
それでも本当に幸せな国で育ったのかもしれない。

こうやって旅に出て、自分と違った価値観や文化に触れる事で、誰かと比べなければ気付くはずのなかった自分の持っている文化や価値観に気づくことがある。

 

人は自分の顔を鏡なしで見る事はできない。

ほかを知って、自分自身を映し出すことができるのも、旅の醍醐味の一つであると思う。

最後に、ネパールの死生観についてたくさん話してくれた、彼

 

「僕は日本人にありがとうを言いたい。

僕だけじゃなくてネパール人みんながそう思ってる。

震災の時に助けてくれて。

僕たちはフレンドだよ!」

って。

 

こちらこそありがとう。

名前、聞き忘れちゃった。

次回は更に「異」の地、ヒマラヤ山脈のアンナプルナを登山しに、ポカラヘ大移動!

 

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