エベレスト9日目②カラパタール5550mへ
体調不良のサンディップをロッジに残し、一人でこのトレッキングの最高標高地点、カラパタールを目指すことになった私。
言わば今日がクライマックスな訳だ。
今までこの冒険を共にしてきた彼と、一緒にその瞬間を迎えたかったが、仕方がない。
たった一人で歩くのも、なかなか楽しいものだ。
ロッジを出て、もはや想像を超える壮大さの山々に囲まれた絶景の中、一人で歩き始めると、この大自然の中、自分以外に頼れるものが何もないというちょっとしたスリルが、私の胸を余計に高鳴らせた。
私は今、とんでもない景色の中に立っている。
そして今、更なる絶景を求めて、一人で歩き出そうとしている。
この事実をこのとき、うまく受け入れられていなかったように思う。
このときの気持ちを例えるなら、こうだ。
一、十、百、千、万、億、兆、、、、、その後にもずっと数字が続くのは知っている。
だがもう、それ以降は、自分の想像の範囲を超えすぎていて、なんとなく全部同じに感じてしまう。
例えば一京円持っていたとしても、一垓円持っていたとしても、どっちにしろ一生かけても使い切る額ではないから、同じというような感覚かもしれない。
宇宙を想像するとき、なん億光年先だとか、そんな距離、想像することができないのとも似ていると思う。
1mの物差しで、10㎞を図ろうとしても上手くいかないのと同じで、目の前の景色と現実は、自分の持ち合わせている”これまでの経験”という物差しの長さをゆうに超え過ぎていて、うまく受け入れることができなかった。
さて、前方を向くと、岩と乾いた土でできた、急斜面の丘が立ちはだかっていた。
カラパタールへたどり着くには、ここを登って行かなくてはいけない。
周りの景色が壮大すぎるせいで、その丘はすぐ近くにあるように、そしてなだらかに見えるのだが、実際は丘の始まりまでかなり距離があった。
そして、見た目よりも遥かに急斜面であった。
岩石でできた白い丘の始まりにたどり着いたところで、
「ここを登っていくのか」
少し気合いを入れて、最初の一歩を踏み出す。
乾いた土に覆われた、岩の急斜面は、足元を滑らせる。
登っていくに連れ、風の吹き付ける丘の斜面に曝された場所を歩くことになり、顔に当たる強烈に冷たい風で、ほっぺや耳が痛くなった。
30分か1時間ほど登ったところで後ろを振り返ると、目下にゴーラクシェプの村が広がっていた。
いくつか集まったロッジの、カラフルな屋根たちが、青空の下に広がる白い砂の地面の中、ビビッドカラーのアクセントを利かせ、とてもきれいだった。
と、よく見ると、その白い地面の中を、豆粒ほどの黄色い小さな物体が、こちらに向かって進んでくる。
なんだろうと立ち止まって目を凝らしていると、それはダウンジャケットを着たサンディップだった。
私を追いかけて来ていたのだ。
あれだけ体調が悪そうにしていたので、本当にびっくりした。
私は、
こちらに向かってくる、目下のサンディップに向かって
「Are you ok? thank youuuuuu!!!!」
と叫んだ。
岩に腰掛け彼が私のところまでたどり着くのを待ち、心強い仲間と合流したところで、共に歩みを再開した。
そしてその急斜面をしばらく歩き、丘を上り切ったところで、私たちはなだらかな道へと出た。
なだらかなと言っても、写真で見るよりはよほどちゃんとした斜面なわけではあるが、それでも、それまでの斜面と比べれば、非常に歩きやすかった。
次第に増す寒さと、ごうごうと音が鳴るほどの強烈な風の強さを除けば、こんな絶景の中を歩ける幸せはない。
まあ、このときの私は、その寒さや風でさえも、楽しんでいたのだが。
思い返せば、このエベレストトレッキングのうちで、”辛い”と感じたことは一度もなかったように思う。
過酷な状況でさえも、その過酷さ自体を楽しみに変えてしまうほどの何かがそこにはあった。
右手を向けば、氷河に覆われた山々が迫っている。
左にも山。
前方にも山。
後ろにも山。どちらを向いても、絶景が広がっていた。
このとき私は気づかなかったのだが、この、手前の氷河に覆われた白い山から頭をのぞかせる後ろの黒い山が、エベレストの頂だ。
それは、私の想像とは全く違い、黒い色をしていた。
まさに、昨日、映画「神々の頂」の出演者のサインをロッジで見たばかりだが、その映画の中のように、雪と氷河で覆われた真っ白な色をしているのかと思っていた。
黒い頭を、周囲の山の間からのぞかせるエベレストは、一番奥にありながらも、白い煙のような雲を漂わせ、どの山よりも堂々と、自信に満ちた様子で佇んでいた。
それもそうだ。
これが地球の頂なのだ。
地球上に存在するあらゆるものなかで、何よりも天に近い存在なのだ。
自信を持ちすぎて、少々のけ反りかえるくらいでも、しょうがないだろう。
まあこれは私の勝手な想像で、本当は、地球の全てをその高さから見守るほどの寛大さで、奢りなど一切なく、静かに私たちを見ているのかもしれない。
もし、エベレストが人格を持っていたらの話だが。
けれど私は、山は本当に生きているのかも知れないなと思うことがある。
「なにスピリチュアルなこと言ってんだ」と笑うかもしれないが、本当にそう思うことがあるのだ。
登山をしたことがある人なら少しわかるかもしれないが、長い道のりを足元に注意しながら歩き、ふと顔を上げて前を向き、立ち止まって周りの景色を見渡して深呼吸してみたとき、自分を囲む自然が、私を見つめているような気持ちになる時がある。
壮大な自然の、風の音や冷たさ、匂い、目に映るもの、耳に入るもの、肌で感じるもの、全てに感動して、山というものに対して私が勝手に情緒的になってそう思っているだけだとは思う。
自分が今いる自然に感動し、心から「ああ、地球に生まれてよかった」と思うとき、地球の方も、このちっぽけな私を少しでも見てくれていたらいいな、と思うのだ。
だから、「山は生きていているかもしれない」というよりは、「生きていたらいいな」に近いかもしれない。
いつかエベレストを地球の側から見る立場ではなく、エベレストの方から一緒に地球を見渡す側に立ってみたいと思う。
地球の頂に立ったとき、私はなにを感じるのだろう。
地球の頂は、どんな気持ちで私たち地球を見ているのだろう。
その視点にいつか立って、いつか地球を見てみたいと思うのだ。
本当に山の声が聞こえるかもしれない。
なんてね笑。
さて、そこから更に歩みを進めると、また、だんだんと道は急斜面へと変わっていった。
この斜面を登り切れば、いよいよカラパタールへと到達する。
写真を撮るため、一度手袋を外すと、吹き付ける冷たい風のせいで、ほんの十数秒で、手が凍るように痛くなった。
ここに住むシェルパ族でさえ、こお場所の正確な気温を知らないため、正確な数値はわからないが、標高から計算するに、気温は-20度を下回っているはずだ。
この強風の中であれば、体感温度は更に更に更に低い。
そんな吹き付ける風の中を歩いていくと、ついに、私たちの目指すゴール、カラパタールが見えてきた。
地表の岩は、カラ(黒い)パタール(岩)というその名の通り、黒い色へと変わっていく。
空の色も、薄い酸素のせいで、いよいよ青黒く見える。
周りの景色が壮大すぎるせいか、写真で見ると小さく見えるが、一つ一つの岩の大きさは、時々自分の身長を超えるほどであった。
さっきまで、土の上に大きな岩が転がるようになっていた地面は、ゴールが近づくにつれ、岩だけが重なる地面へと変わっていった。
その大きな岩と岩の隙間に落ちてしまわぬよう、時々軽くジャンプをするように岩の上を渡り歩く。
この、カラフルな旗(タルチョ)の集まっている場所が、カラパタールのてっぺんだ。
ついにラストスパートというところで、その岩は縦に積み重なり、手を使ってやっとよじ登れるほどの高さに積み上がり、私の前に立ちはだかっていた。
ここを登れば、ついに、目的地へと達する。
今まさに到達しようとしている、その岩を一度見上げると、その向こうには青黒い空が広がっていた。
空は高い。
ここまで登ってきても、まだまだその先にあるのだから。
目視で足と手の掛けられそうな場所を探し、
「よしっ」
と気合を入れてから、両手両足を使ってその岩をよじ登ると、私はついに、その場所へと到達した。
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