エベレスト10日目② ナムチェへ
タンボチェの村を出発すると、あたりの景色は急に変わった。
これまでの、木の生えていない乾いた地形から、林の中へと入ったからだ。
行きにはあんなにわくわく思えた道だが、すでに一度知ってしまった今となっては、平凡な帰り道である。
先が見えないというちょっとした不安は、冒険の最高のスパイスなのだ。
ずっと一緒に歩いてきた犬と、出会った橋や
ユニークプレイスと皮肉を込めて呼んだロッジ。
たった数日前のことなのに、もうすでに懐かしく感じる。
ああ、この登山ももうすぐ終わってしまうのだと思うと、少し寂しい。
と同時に、急に木々が現れた道を歩き、なんだか人間界にやっと戻ってきたような、ホッとした気持ちもしていた。
行き道には、標高3500m近くを歩いているという事実が、私のアドベンチャー心を躍らせていたのに、今となってはものすごい普通な道に思える。
標高5660mのカラパタールの絶景の中に、つい昨日までいたのだから、そう思えても仕方ない。
まだまだ富士山と同じくらいの標高の場所までしか降りて来ていないのだが、なんだかすでにすぐ町中近くまで降りて来たような気持ちだった。
しばらく歩き続けると、急に日が暮れ始める。と同時に急に気温が下がり始めた。
私は、このひんやりとした空気を感じ、ロッジに着くまでに完全に日が暮れてしまわないか少しだけ不安になった。
ここから、今日目指すナムチェの村まで、まだ距離があるからだ。
私たちは、なるべく早歩きで山を下った。
しばらく歩いて行くと、
パキッ
パキッ、
というよう妙な音が聞こえた。
そうかと思うと、
パーーン!
という大きな音がこの山々に反射して響き渡る。
何かと思ってあたりを見渡すと、なんとすぐ隣の山で雪崩が起きている。
ドドドドドドドドという音と共に、ほぼ煙のような白い水蒸気をあげて、山の雪が崩れ落ちていく瞬間だった。
もし、歩いていたのが隣の山だったら、死んでいたかもしれない。
夕方、私はそろそろ足に疲れを感じ始めた。
それは10日間歩き続けて、初めて感じた足の疲れだった。
我ながらに、丈夫な足だと思う。
不思議と、心は疲れを感じていない。
いや、疲れを感じていないというよりは、そんなことを考える余裕がなかったと言った方が正しいだろう。
覚えているだろうか。私が特別膀胱炎になりやすい体質であることを。
そう、この時、私は恐ろしいほどの尿意に襲われていたのだ。
すでに最後にトイレに行ってから、数時間が経過していたのだから、無理もない。
特に膀胱炎になりやすい私にとっては尚更だ。
もう何を見ても、この時はトイレのことで頭がいっぱいだった。
やっとナムチェの村の入り口にたどり着いた時、私はもう、ほとんど、尿意を抑え込むために、くねくね体をくねらせて歩いていた。
ロッジまであと少し。
あと少しだ。
とは、言いつつ、実際のところ、私は、もはやロッジまで間に合わすことができないのをほぼ確信していた。
どんなに少なく見積もっても、ロッジまであと30分、いや、この足の疲れからすると、1時間はかかるだろう。
ナムチェの村は広い。
そして、あのくねくねとした長い階段を下って行くことを考えたら、その体の動きに、私の爆発寸前の膀胱が耐え切れるはずがなかった。
もう、私は、自分がどうすべきなのか、本当にわからなくなっていた。
膀胱も頭も、もう尿でいっぱいだった。
今私にできることは、尿意を我慢すること、そしてなるべく早くロッジを目指すことの2つだ。
だがこの2つを同時に叶えようとすると、不幸なことに、矛盾が生じる。
尿意を我慢するほど、私の足は動かなくなる。
早く歩こうとすればするほど、漏れそうになってしまう。
私は、心底、この体質を恨んだ。
もう、ナムチェの村に入った今、身を隠すことのできそうな木々も見当たらない。
私は、丘のちょうど頂上の、横に伸びた道をゾンビのように歩いていた。
それは、目下の街から、丸見えの道を歩いているということを意味する。
一瞬、カラパタールと同じように、青空トイレも考えたが、流石にここでは無理だ。
そして更に最悪なことが起こったのはここからだ。
気がつくと、どんどん先に歩いて行ったサンディップの姿が見当たらない。
私は、ロッジの並ぶ丘の中腹へと続く階段の道を見失っていたのだ。
ただずっと、丘の坂に沿って横に伸びる道を歩き続けていた。
更に日はどんどん暮れはじめ、目下の街には明かりが灯りはじめている。
翳り始める日の光は、更に私の不安と焦りを煽った。
ガイドのくせに、先に行ってしまうなんて!
普段ならなんとも思わない私も、この時ばかりは、焦りと尿意から、文句の1つでも言ってやりたい気持ちだった。
とその時、私はもう、どうしようもない尿意を感じ、気がつくと、人の家の庭の裏の道へと回っていた。
そこで私が何をしたかは、ご想像にお任せする。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、ちょうどことなきを得、立ち上がった瞬間、
民家の物陰から、突如人影が現れた。
びっくりしてハッと息を飲むと、それはサンディップだった。
私は心底びっくりして、大笑いしてしまった。
それは何かを隠すのに必死で出た笑でもあった。
彼はそんな私を見て、
「何笑ってるの?」
の不思議そうな顔をしていた。
どうやら何も気づいていないようだ。
全く、
「何笑っているの?」
ではない。
足の動かない私に気を止めることなく、どんどん先に行ってしまったことに謝るべだ笑
とでも思いそうなものだが、彼が何も見ていないこと、非常にスッキリしたこと、そしてロッジへと向かう道へ導いてくれる彼に出会えた嬉しさで、先ほどまでちょっとした怒りは吹き飛んでいた。
下へ降りて行く階段にたどり着いた頃には、もう、いよいよ、あたりは真っ暗で何も見えないほどになっていた。
私たちは、スマホの灯りを頼りに、石でできた凸凹の階段を降りて行く。
足の裏にできたいくつものマメが、段差の大きい階段を一歩ずつ降り、片足に体重をかける度に痛んだ。
人通りのない、民家の脇の細い道を抜けると、私たちは、ついに村の中心へとたどり着く。
そこでは、登山用品にマップ、ポストカード、いろいろなものが売っていた。
そして、人がいて、明かりがあって、街になっている。
それだけで、もう、首都カトマンズまで降りてきたのではないかと勘違いするほどの賑わいと暖かさを感じた。
実際に、気温も、カラパタールを経験してきた私には、相当暖かく感じた。
行き道には、ここの気温をとてつもない寒く感じたというのに。
そして更に下って行くと、
西洋レストランまであった。
店のガラス扉には、クレジットカードのマークまで付いている。
サーティーワンアイスクリームがある。
クレジットカードのマークを見た瞬間、急に人間界と数日ぶりにつながったような気がした。
私は、言葉で言い表せないほどの、ホッとした気持ちでいっぱいだった。
そしてそれと同時に、異常な達成感を感じていた。
やっと、ここまで、ここまで戻ってきたのだ。
足の痛みは、その達成感を私の心にひしひしと感じさせるのを手伝い、ほぼ涙が頬を伝う寸前だった。
そんな思いで歩いていると、
どこからともなく
「ティミ ロイェコー パル ティミラーイ♪」
とネパール語の歌が聞こえてくる。
それは、私が、ここネパールで、これまで何度も、誰かに「歌を歌ってよ」と言われた時に、披露している歌だった。
ハッとしてその声のする方を見ると、一人の女性が、石の階段に腰掛け、私に向かって笑顔を向けながら歌っていた。
目があった瞬間、彼女は、私を見て笑った。
私がこの歌を歌えることを知っていた彼女は、私を見つけた瞬間、私に向かってこの歌を歌ってくれたのだろう。
それは最高の「おかえり」だった。
私がこの歌を歌えることを、彼女が知っているなんて。なんて狭い世間なんだろう。
そしてそれを数日経った今、私がカラパタールから無事帰還した今、私に向かって歌ってくれるなんて。
彼女の心は、疲れた体と感動が今にも溢れそうになっていた私の心をノックし、私のまつげを濡らした。
そうして私は、ついに、数日前に泊まったロッジへと、戻ってきた。
木でできた扉を開けると、登山客たちが賑わう、夕食どきのダイニングが迎えてくれた。
あの日とてつもなく寒く感じたロッジは、今となっては、暖かさの溢れる食事場所だった。
部屋に荷物を置くと、すぐにダイニングへと向かう。
あの日あれだけ寒く感じたロッジが、こんなに暖かく感じるのが本当に不思議だった。
お腹のすいていた私は、モモとマッシュドポテトの2品を注文した。
そして、久しぶりのビールも。
まだまだ完全に下山したわけではないが、無事ここまで戻ってこれたことへのお祝いの乾杯だ。
私が食事をとっている間に、
「君はネパール人?それとも外国人?」
と聞いてきたヨーロッパ人の団体たちは、
「カラパタールはどうだった?寒い?大変?」
と、興味津々だ。
私の真っ黒に日焼けした顔は、チベット系のネパール人の顔に似ているのだろう。
写真を見せたい気持ちを抑え、
「めーっちゃ寒いけど、めーっちゃいいところだから、絶対途中で体調崩したりしないで、最後まで行ってきて!」
とエールを送った。
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