エベレスト8日目② エベレストベースキャンプへ
午後1時半過ぎ、昼食を終えてロッジを出ると、分厚い霧のような雲の塊が、山間からのぞく遠く向こうの青空にかかり始めていた。
今から向かうエベレストベースキャンプは、どうやらその分厚い雲がかかった山の中にあるようだ。
昼を過ぎると霧がかかり始めるのは、ここヒマラヤでは普通のことだが、あんなに分厚い真っ白な雲の塊の中へ入っていくと思うと、さすがのあたしも少し心配になった。
そして何よりも思ったのは、
「せっかくなら晴れたエベレストベースキャンプが見たかった」
ということ。
頭上の空はまだ青い。
ああ、どうかこの青空が、奇跡の大逆転でも起こして、前方の白い雲に打ち勝ってくれればいいのに。
エベレストBCへと続く丘を登り切り、丘に囲まれたゴーラクシェプの村を抜けると、頭上の空は完全に灰色になった。
目に映るのは、乾いた地面と、転がる岩、真っ白な氷河に、雪のかかった山々、そしてどんより霧がかった空のみだ。
視界にある全ての物が、灰色や白で覆われ、白黒映画の画面のようだった。
ただでさえ、凍えるほど寒いのに、この彩度のない寂しい景色が、余計に寒く感じさせる。
強風の吹き付ける中、斜めに降る雪が、まつ毛に乗って水滴となり、視界をにじませた。
向こうからは、カランカランとベルの音を鳴らしながら、ヤクの列が歩いてくる。
こんな氷河に覆われた場所まで、ヤクが荷物を運んでいるなんて本当に驚いた。
きっとベースキャンプに滞在する人たちのためだろう。
人の住んでいない場所、家もなく、生きるために必要な食べ物も自給できない場所、それがベースキャンプだ。
人の生きていけない環境に、テントという薄いビニールの簡素な家を作り、食料は別の場所から運んでくるのだ。
宇宙という人間が適応できない漆黒の海に、食料を積んで飛び出した宇宙船のようなものだ。
そして、さっきまで、遠くに見えていた氷河が、すぐ真横まで迫ってきたとき、地球が終わる寸前かと思った。
環境破壊が進んで地球がおかしくなったとき、こんな光景が地球全体を飲み込んでしまう日が来るかもしれない。
氷河に覆われた乾いた景色も、何日も歩き続け、やっと辿り着いた光景だからこそ、そして自分の住む世界とかけ離れているからこそ、美しく、感動するのだ。
もしこの光景が地球を覆い尽くす日が来たら、と思うと、寒さ以上に身震いがした。
さて、寒さに、というよりももはや全身を締め付けるような冷たさに耐えながら歩いていくと、前方から見覚えのある黄色いジャケットが見えてきた。
イイジマさんだ。
一歩一歩近づいて来るイイジマさんを見つめながら歩いていると、私はあることを思いついた。
「イイジマさんに、私の持っている日本円をネパールルピーに変えてもらえないか。。。」
そう思ったら、失礼だが、飯島さんが、歩く銀行に見えてきた。
この時、私の財布の中身は、ほぼ0に等しかった。
それは、この環境の中で、水や食べ物を手に入れることができないということを意味する。
正直、そんな空腹に耐えられる自信はない。
とそんな空腹がどうとか呑気なことを言っているよりも、普通に危険である。
そんなことを考えている間にも、歩く銀行、イイジマさん、、、、、
いや、もはや仏と呼んだ方がいいかもしれない。
彼はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
黄色いジャケットのせいか、本当の仏のように、神々しく光を放っているように見えた。
これで、これで、やっと食料を手に入れることができる、、、、!
彼の動きは、この時の私には、まるでスローモションのように見え、その彼が、ようやく手の届きそうな距離まで来たところで、
「イイジマさん!」
と私は声をかけた。
「あ、内田さん、これからベースキャンプに向かうところですか?」
「はい!」
「曇ってて何も見えないですよー。僕が着いた時はかろうじてって感じでしたが、これからだと本当に何も見えないかもしれないですね。」
「ベースキャンプって何があるんですか?」
「うーん、ただテントが張ってあるだけかなあ笑」
この時イイジマさんがくれた全ての情報に少しずつがっかりしながらも、エベレストベースキャンプという自分がこの8日間目指し続けてきた場所にもうすぐたどり着けることは、嬉しく思った。
「そうだ、イイジマさん、お願いがあるんです!」
「何ですか?」
「ルピーが底を尽きちゃったんです。もしネパールの紙幣が余りそうだったら、今私が持ってる日本円と交換してもらえませんか?」
どストレートにそう聞くと、
「彼には借りれないんですか?」
と、最初イイジマサンディップの方を見た。
まあそうだ。普通はそう思うだろう。
が、サンディップの持っているお金も、この時日本円にして3000円ほど。
到底二人分の生活費には足りない。
ネパール人ガイドのサンディップは、外国人登山客の3分の1ほどの値段で食事を取れるが、外国人登山客の私たちはそうはいかない。彼の持っている3000円は、外国人の私の食費を賄える金額ではなかった。
「彼もあと3000円くらいしか持ってなくて。。」
そういうと、
「ああそうですか、それならいいですよ。いくらですか?」
と、快諾してくれた。
「3000円くらい、お願いできますか?」
私が持っていた日本円は、千円札3枚、3000円だ。
全てルピーに変えても、下山まで足りる額とは思えなかったが、とりあえず、その全てをネパールルピーに変えてもらうことにした。
日本円で3000円は、だいたい2900ルピーほどだ。
イイジマさんはキリの良い3000ルピー渡そうとしてくれたが、日本円にして100円ほど足りない。
私は、財布の中に100円玉が入っていないか探してみた。
が、入っているのは5円玉や1円玉ばかりで、100円には足りなかった。
次に私は、マウンテンジャケットのポケットに手を突っ込んでみた。
小銭をすぐにポケットに突っ込む癖のある私は、自分の悪い習慣に期待した。
きっと私なら、100円や200円くらい、どこかのポケットに入れたままにしているだろう。
すると、何かの紙切れのようなものが手に触れた。
小銭でも、紙幣でもない。
手でつかんでポッケの外へ出すと、
、
、
、
、
、
私は自分を奇跡を起こす天才かと思った。
何とそれは、100円だったのだ!
正確には、マクドナルドの100円のコーヒーSサイズ一杯無料券だったのだ!!
それは東京でマックに行った際、確か何かの商品が品切れだっか何かのお詫びでもらった無料クーポンだった。
「イイジマさん!これ、ちょうど100円なんで、もらってくれませんか?」
私は半ば興奮気味に言った。
が、
「いるか!笑笑
ここ、エベレストですよ!こんな景色の中にいて、それ、今一番いらないものです笑笑!」
と、爆笑しながら断られた笑。
とにもかくにも、3000ルピーをゲットした私は、より一層霧の深まるエベレストベースキャンプへと再び歩みを進めた。
そしてようやく、私たちは、エベレストベースキャンプへ到着した。
と言っても、数メートル先は本当に何も見えないような視界の悪さであったし、特に特別何かがあるという訳でもなかった。
それどころか、横殴りの風が四方からランダムに吹きつけ、雪が降り、吹雪いていた。
カメラを触るためほんの数十秒グローブを外しただけでも、雪の中に手を突っ込んだかのように、手が冷たく痛くなるほどの寒さだった。
が、それでも、「エベレストベースキャンプまで、自分の足で来た」というその達成感が、最高の自分へのご褒美であった。
むしろ、この最悪な天候でさえも、楽しかった。
こんな経験、なかなかできないだろう。
”ここがエベレストベースキャンプである!”とエベレストベースキャンプたらしめる何かがあるわけではなくても、全てがもうすでに特別だった。
ヒマラヤ登山のクライマックスに、最高の悪天候!
めっちゃクール!笑
中2っぽいけど、嵐の中の冒険ってなんかかっこいいじゃん!
ベースキャンプから見た氷河やっぱり格別だったけどね。
もうこんな景色、そうそう見ることができないだろう。
それかもしくは、私が旅をやめない限り、きっともっともっとこれ以上に素晴らしい景色と経験が、この先待っているのだろうけど。
さて、しばらくベースキャンプを楽しみ、凍える寒さに耐えきれなくなった頃、私たちは、帰路につくため歩き始めた。
こんなところに、よく犬がいるものだ。
寒い、食べ物もない。
ここにわざわざ住む理由はいくら考えても見当たらない。
悪天候の中をしばらく歩くと、霧も薄くなり始め、ゴーラクシェプの村に近づいてきた。
ラストスパートに、村を囲む丘を降り切ると、ようやくゴーラクシェプの村にたどり着いた。
出発の時と同じように、ここの空は先程までの天気が嘘のように晴れていた。
突然変わった天候のせいで、先ほどまでの景色が夢のように思えた。
喉の渇きを潤すため、口をつけた中身の凍った水筒だけが、私たちが本当にそこにいたことを証明しているようだった。
宿にたどり着くと、いつものように、ストーブの上に水の入った水筒を乗せ、温めながら、他の登山者との会話を楽しんだ。
夕食には、またいつものごとく、トマトスパゲッティを注文。
味の方はというと、街のスパゲティと比べたら、相当落ちていたと思う。
そして、なんと後ろの黒いジャケットの、片手を上げている男性、プロの登山家でこれからエベレスト登頂を目指すのだという。
私が日本人だと知ると、三浦雄一郎さんのことを、みんな話題にしていた。
明日は、標高5550m、カラパタールを目指す。
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