エベレスト9日目⑤旅とは。標高4900m、ロブチェのロッジにて
標高4900mのロブチェは、エベレストベースキャンプの吹雪や、
カラパタールの強風を経験してきた私には、とても穏やかに暖かく、「おかえり」と私たちを迎えてくれているように感じた。
と言っても、まだまだ氷点下20度近い気温なのだが。
トイレの床は一日中凍っていたし、水道の水は完全に止まっていた。
それでも、これまで経験してきた過酷な寒さに比べたら、随分と親切な気温だ。
ロブチェの村にある、数件のロッジの中から、行きにも泊まった同じロッジを選び中へ入る。
するとダイニングにはすでにストーブが灯り、登山客がその周りを囲うようにして椅子を並べて座っていた。
ストーブの方へ歩み寄って行くと、その中の一人が気を利かせて、私の場所を空けてくれたので、そこへ腰掛けた。
そして、隣のアイルランド人のおじいさんと、私は会話を始めた。
しばらく英語で話していると、
「私、日本語大丈夫です」
と言い出すおじいさん。
事情を聞いてみたところ、なんと30年近く日本に住んでいるというのだ。
もちろん、日本語はペラペラ。
奥さんも日本人で、お子さんが二人いるのだという。
息子さんが慶応大学に通っているということもあり、
「僕の息子と君の大学はライバル同士だね」
なんていうありがちな会話から、私たちは英語と日本語交じりの会話で話に花を咲かせ、夜10時頃、ストーブの火が消えるまで話し続けた。
話題は、これまでの生い立ちや、これまで行った旅先のエピソードや、将来のこと、この社会問題についてどう思う?だとか。
年の離れたおじいさんとこうして数時間語り合う機会はなかなかない。
私は心から彼との会話を楽しんだ。
そして、日本に帰ったら必ずまた会おうと約束した。
実際、私たちは東京で再開し、一緒に日の出山を登山を果たしたのだ。
旅の醍醐味は、その土地の景色や味、匂い、文化の体験だけではない。
こうした人との出会いが、旅の面白さを決めると言っても過言ではない。
思い返してみれば、旅をして楽しかった国は、必ずと言っていいほどそこでの出会いが楽しかった。
私は、「旅とは、場所を旅することだけではなく、人の中を旅することなのだ」と時々思う。
そしてもう一つ、このロッジでは、面白いエピソードがあった。
私がしばらくストーブの側へ座っていると、ネパール人ガイドの一人が、私に、
「お願いがあるんだ」
と言い出したのだ。
「なーに?」
と聞き返すと、
「歌を歌ってくれない?」
と言い始める彼。
覚えているだろうか。
数日前のロッジで、私が大勢を前に、ロッジで歌を披露したことを。
彼は、その時にも、私に歌を歌ってと、頼んできた男性だったのだ。
ここはロッジのダイニング。そして夕食どき。
周りを見渡すと、私と一緒にストーブを囲むようにして座っている人たちだけでも10人以上。
そして更に、様々な国から来た登山客たちが、15から20ほどある6人がけのテーブルを埋め尽くすように座っていた。
一度は、
「恥ずかしいよ」
と断ってみる。
が、
ここは世間のとてつもなく狭い山の上だ。
既に他のネパール人ガイドたちも、私がネパール語の歌を歌えることを、ほぼ全員知っていたのだ。
彼だけでなく、他のガイドたちも混ざって、
「お願いだ。僕たちは、長い登山で疲労が溜まってるんだ。君の歌の癒しが必要なんだよ」
「カモン。恥ずかしがるなよ」
と、促してくる。
もうこうなったらしょうがない。
私はまた、この大勢がひしめくようにして夕食を摂っているロッジのダイニングで、歌を歌うことになったのだ。
すると、一緒にストーブの周りに腰掛けていたネパール人ガイドたちは、心の底から嬉しそうなキラキラした笑顔を見せてくれた。
「いや〜君の歌には本当に癒されるよ。もう一曲、もう一曲お願い」
と、子供のように喜んでくれるのだ。
なぜ彼らは、ほぼ初対面の私の、たったワンフレーズの歌だけで、こんなに屈託のない笑顔ができるのだろう。
そんな彼らを見ていると、私の方がよほど元気をもらってしまうじゃないか。
常に冗談を言って、こちらを笑わせようとしてくる彼ら。
どんな小さなことでも見つけ出し褒めてくれ、喜ばせようとしてくる彼ら。
そしてそれを無理なく、自然な笑顔でしているのだから、逆に尊敬してしまう。
きっとサービス精神という意識さえないのだろう。
本当に、それが彼らにとって自然なのだ。
思い返してみれば、ロッジでの会話だけでなく、登山道の途中で岩に腰掛け休んでいる時でさえ、
「そのジャケット素敵だね」
などと、すれ違いざまに見ず知らずの人たちが褒めてくれる。
立ち止って少し話をすれば、どんな会話にも諸所にジョークを交え、相手を楽しませることを忘れない。
そして何よりも、自分たちが一番、人との会話を楽しんでいる。
その気持ちが伝わってくるから、私は彼らと話をしていると元気をもらえるのだ。
心から自然に溢れた笑顔を向けられて、笑顔にならない人はいないだろう。
彼らは気づいていないかもしれないが、それが彼らの心に沁みついた、とってもとっても自然な思いやりなのだと私は思った。
思いやりの形は色々だ。
日本の思いやりの形も素敵だが、私は彼らの、黄色い笑顔でこちらも自然と笑顔にしてくる感じが、とっても好きだった。
そして、最後には、ネパール人男性の誰だかが、手のひらを返しながら踊る日本の盆踊りのようなネパール式のダンスを始め、周りのネパール人たちもそれに合わせて歌いながら手を叩き、みんなして順番に踊りを始めたのだ。
みんなが同じ歌で盛り上がり、心の言うままに体動かし、長いトレッキングでの疲れをこの時ばかりは忘れていた。
誰かと同じ歌を歌い、そして踊るだけで、こんなに楽しめるのだから、本当に不思議なものだ。
人間の心の仕組みってすごいなと時々おもうことがある。誰かと同じ歌や踊りして楽しむ心を持っているのは、きっと誰もが、誰かと繋がっていられるための、仕掛けなのだろう。
ストーブを囲み、みんなで輪になって一つの歌を歌う私たち心は、この時、本当に一つの輪になっていた。
遠い異国の、このエベレストの小さなロッジで偶然出会っただけの私たちが。
このとき、誰もが寒さを忘れ、人の温かさで満たされていた。
さて、私が注文した、いつも通りのトマトスパゲッティが届いたところで、このどんちゃん騒ぎは終わる。
もう、人前で誰かのために歌うことに、ためらいを感じることはなかった。
————–
さて、夜も深まり、ストーブも消え、就寝前に、沸かしたお湯を水筒に入れてもらうために私はキッチンへ向かった。
このロッジに住みながらここを運営するシェルパ族のご家族に、
「タトパニ チャンチュ(お湯が欲しいです)」
と言うと、
夜のどんちゃん騒ぎをキッチンからこっそり聞いていたのか、
「ねえ、その前に、あの歌歌ってよ」
と、ニヤついた笑顔を向けてくるのだった。
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